・・・各小学校の校長先生たちや、郡長さん始め、県の役人なども沢山いるところで、私たちは非常に面目をほどこしてから、受持の先生に引率されて帰ってきたが、それから林と私はますます仲良しになった。 あるとき林の家へいって遊んでると、林が大きな写真帳・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・嘉納さんは高等師範の校長である。其処へ行って先ず話を聴いて見ると、嘉納さんは非常に高いことを言う。教育の事業はどうとか、教育者はどうなければならないとか、迚も我々にはやれそうにもない。今なら話を三分の一に聴いて仕事も三分の一位で済まして置く・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・ただいま正木校長の御話のように文学と美術は大変関係の深いものでありますから、その一方を代表なさる諸君が文学の方面にも一種の興味をもたれて、われわれのような不調法ものの講話を御参考に供して下さるのは、この両者の接触上から見て、諸君の前に卑見を・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・私も下駄で始終歩いた一人で、今はついでだから話しますが、私が此所に這入った時に丁度杉浦重剛先生が校長で此所の呼び者になっていた。この時二十八歳だったかと思います。大変若くて呼び者であったが、暫くするとこういう貼出しが出ました。学校の中を下駄・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・ *一千九百廿五年十月十六日一時間目の修身の講義が済んでもまだ時間が余っていたら校長が何でも質問していいと云った。けれども誰も黙っていて下を向いているばかりだった。ききたいことは僕だってみんなだ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 丁度この日は校長も出張から帰って来て、学校に出ていました。黒板を見てわらっていました、それから繭を売るのが済んだら自分も行こうと云うのでした。私たちは新らしい鋼鉄の三本鍬一本と、ものさしや新聞紙などを持って出て行きました。海岸の入口に・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ お話がすんでから博士は校長さんたちと運動場に出てそれからあの虔十の林の方へ行きました。 すると若い博士は愕ろいて何べんも眼鏡を直していましたがとうとう半分ひとりごとのように云いました。「ああ、ここはすっかりもとの通りだ。木まで・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・のだそうである。校長先生の息子さんの経営で軍需インフレで繁栄している工場へ働いて、貰ったいくばくかの金を再び学校で、その阿母さんに払うのだとしたら、それらの可憐な女学生女工の二時間の労働というものの実質は、どこでどのように支払われたというこ・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・という元ツァーの離宮だった町に、プーシュキンが学んだ貴族学校長の家が、下宿になっていた。そこで書いた。一九二八年の八月一日には、弟の英男が思想的な理由から二十一歳で自殺した。そのしらせを、「子供の村」の下宿でうけとった。「赤い貨車」は小説と・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・という子供のイデオロギー的な言葉よりさきに、校長、教頭などが金持、地主、官吏の子供らばかりをチヤホヤし、その親に平身低頭し、自身の地位の安全のためにこびる日常の現実に対して素朴な、しかし正当な軽蔑と憤りとを感じることから始る例が多い。 ・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
出典:青空文庫