・・・当時の硯友社や根岸党の連中の態度は皆是であった。 尤も伝来の遺習が脱け切れなかった為めでもあるが、一つには職業としての文学の存立が依然として難かしいのが有力なる大原因となっておる。今より二十何年前にはイクラ文人が努力しても、文人としての・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・いろいろ療治をした後、根岸に二十八宿の灸とか何とかいって灸をする人があって、それが非常に眼に利くというので御父様に連れられて往った。妙なところへおろす灸で、而もその据えるところが往くたびに違うので馬鹿に熱い灸でした。往くたび毎に車に乗っても・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ずっと以前に一度、根岸の精神病院に入れられた時の厭わしい記憶がおげんの胸に浮んだ。旦那も国から一緒に出て来た時だった。その時にも彼女の方では、どうしてもそんな病院などには入らないと言い張ったが、旦那が入れと言うものだから、それではどうも仕方・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
ふと大塚さんは眼が覚めた。 やがて夜が明ける頃だ。部屋に横たわりながら、聞くと、雨戸へ来る雨の音がする。いかにも春先の根岸辺の空を通り過ぎるような雨だ。その音で、大塚さんは起されたのだ。寝床の上で独り耳を澄まして、彼は・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・熊本で漱石先生に手引きしてもらって以来俳句に凝って、上京後はおりおり根岸の子規庵をたずねたりしていたころであったから、自然にI商店の帳場に新俳句の創作熱を鼓吹したのかもしれない。当時いちばん若かったKちゃんが後年ひとかどの俳人になって、それ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・表面には「駒込西片町十番地いノ十六 寺田寅彦殿 上根岸八十二 正岡常規」とあり、消印は「武蔵東京下谷 卅三年七月二十四日イ便」となっている。これは、夏目先生が英国へ留学を命ぜられたために熊本を引上げて上京し、奥さんのおさとの中根氏の寓居にひ・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・それから不折邸の横に「上根岸四十番」と記し、その右に大きな華表を画いて「三島神社」としてある。ずっと下の方に門を書いて、「正門」としてあるのは前田邸の正門であろう。 脚腰の立たない横に寝たきりの子規氏の頭脳の中にかなり明確に保存されてい・・・ 寺田寅彦 「子規の追憶」
・・・それをもって根岸の競馬に出かけるのである。競馬であてて喜び極まったところを刑事につかまったのが可哀相な浅岡である。刑事がここまで追跡する径路は甚だ不明であるが、つかまりさえすればそんなことはこの芝居にはどうでもよいので、これですっかり容疑者・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・そうして、着京後間もなく根岸の鶯横町というのを尋ねて行った。前田邸の門前近くで向うから来る一人の青年が妙に自分の注意を引いた。その頃流行った鍔の広い中折帽を被って縞の着物、縞の羽織、それでゴム靴をはいて折カバンを小脇にかかえている、そうして・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・るとなんでもこれは其処で情夫に殺された女か何かの供養に立てたのではあるまいかなど凄涼な感に打たれて其処を去り、館の裏手へ廻ると坂の上に三十くらいの女と十歳くらいの女の子とが枯枝を拾うていたからこれに上根岸までの道を聞いたら丁寧に教えてくれた・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
出典:青空文庫