・・・メロンを作ってみたいと思う人が自分の畑の適否を相談し、栽培法の要領を教われれば軽便である。 もう少し実用を離れた知識でもわれわれは時に自分の畑違いの事で一通りのことを心得ておきたい場合がある。書物を読めばいいとしたところで第一どういう本・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ 日本人口の最大多数の生産的職業がまた植物の栽培に関しているという点で庭園的な要素をもっている。普通な農作のほかに製茶製糸養蚕のごときものも、鉱業や近代的製造工業のごときものに比較すればやはり庭園的である。風にそよぐ稲田、露に浴した芋畑・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 雑草の内にはわれわれの栽培している五穀や野菜や観賞植物とよく似通ったものがはなはだ多い。もしこれらの雑草を特にかわいがって培養し教育して行ったら、何代かの後にはかえって現在の有用植物よりももっと有用なものができうる可能性はないものだろ・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・樹木にも定った年齢があるらしく、明治の末から大正へかけて、市中の神社仏閣の境内にあった梅も、大抵枯れ尽したまま、若木を栽培する処はなかった。梅花を見て春の来たのを喜ぶ習慣は年と共に都会の人から失われていたのである。 わたくしが梅花を見て・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ただ余が先生について得た最後の報知は、先生がとうとう学校をやめてしまって、市外の高台に居を卜しつつ、果樹の栽培に余念がないらしいという事であった。先生は「日本における英国の隠者」というような高尚な生活を送っているらしく思われた。博士問題に関・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・けれども一文芸院を設けて優にその目的が達せられるように思うならば、あたかも果樹の栽培者が、肝心の土壌を問題外に閑却しながら、自分の気に入った枝だけに袋を被せて大事を懸ける小刀細工と一般である。文芸の発達は、その発達の対象として、文芸を歓迎し・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・大将「次は果樹整枝法、その六、棚仕立、これは日本に於て梨葡萄等の栽培に際して行われるじゃ。棚をつくる。棚を。わかったか。十番。」兵士十「果樹整枝法第六、棚仕立であります。」大将「よろしい。果樹整枝法第六棚仕立、はじめっ。一」・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・綿花を栽培し、織物工場で働く耳輪だけ大きい痩せたインド人の後に、ヘルメット帽をかぶり、鼻眼鏡を光らしたイギリス人がいた。 ソヴェトの子供は、幼稚園で、或は小学校で、自然界と人間社会との関係を、日常のあらゆるいきた労作の中から直接学びとる・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・附近一帯の大地主である××では、石塀をめぐらした主家のまわりに、米やと花卉栽培とをやる家があって、赤いポストが米屋の前に立っている。そこでは、切手も売るのであった。札のかかっている横を入って菊畑へ行ってみたらば、そこの棚にのって飾られている・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・ジイドは、この時ゴム栽培特許権所有者組合の横暴と一年間闘い、商務大臣の偽の誓約に憤った。「人間こそ先ず建直されねばならぬ」だがそれはどんな道によってであろうか。ジイドの考えによれば「人の最も個性的な状態にいることは、なによりも優れた公益をは・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
出典:青空文庫