・・・戸石君に聞き合せると更にはっきりするのであるが、戸石君も已に立派な兵隊さんになっていて、こないだも、「三田さんの事は野営地で知り、何とも言えない気持でした。桔梗と女郎花の一面に咲いている原で一しお淋しく思いました。あまり三田さんらしい死・・・ 太宰治 「散華」
・・・Kはバスの下で、雨にたたかれた桔梗の花のように美しく伏していた。この女は、不仕合せな人だ。「誰もさわるな!」 私は、気を失っているKを抱きあげ、声を放って泣いた。 ちかくの病院まで、Kを背負っていった。Kは小さい声で、いたい、い・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・ヴェランダもあり、宿の庭園には、去年の秋は桔梗の花が不思議なほど一ぱい咲いていた。庭園のむこうに湖が、青く見えた。いい部屋なのである。笠井さんは、去年の秋、ここで五、六日仕事をした。「きょうは、ね、遊びに来たんだ。死ぬほど酒を呑んでみた・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・しかしながら、病気以前のラプンツェルの、うぶ毛の多い、野薔薇のような可憐な顔ではなく、いま生き返って、幽かに笑っている顔は、之は草花にたとえるならば、まず桔梗であろうか。月見草であろうか。とにかく秋の草花である。魔法の祭壇から降りて、淋しく・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・この際にたとえば青竹送り筒にささげと女郎花と桔梗を生けるとして、これらの材料の空間的モンタージュによって、これらの材料の一つ一つが単独に表現する心像とは別に、これらのものを対合させることによってそこに全く別なものが生じて来る。エイゼンシュテ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 青磁の徳利にすすきと桔梗でも生けると実にさびしい秋の感覚がにじんだ。あまりにさびしすぎて困るかもしれない。 青磁の香炉に赤楽の香合のモンタージュもちょっと美しいものだと思う。秋の空を背景とした柿もみじを見るような感じがする。 ・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・地にあるものは青い薄と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみである。二人は煢々として無人の境を行く。 薄の高さは、腰を没するほどに延びて、左右から、幅、尺足らずの路を蔽うている。身を横にしても、草に触れずに進む訳には行かぬ。触れれば雨に・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ * あとでカン蛙は腕を組んで考えました。桔梗色の夕暗の中です。 しばらくしばらくたってからやっと「ギッギッ」と二声ばかり鳴きました。そして草原をぺたぺた歩いて畑にやって参りました、 それから声をうんと・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・と云った途端、がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞いおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
出典:青空文庫