もりあつし【森敦】
[1912〜1989]小説家。長崎の生まれ。横光利一の推薦で東京日日新聞に「酩酊船 (よいどれぶね) 」を連載、注目を浴びるが、その後放浪生活に入る。「月山 (がっさん) 」で文壇に復帰、芥川賞を受賞。61歳の新人と騒がれる。他に「鳥海山」「われ逝くもののごとく」など。
もりありのり【森有礼】
[1847〜1889]政治家。鹿児島の生まれ。明六社を創立。第一次伊藤博文内閣の文相となり、一連の学校令を公布して学制改革を行ったが、帝国憲法発布の明治22年(1889)2月11日に国粋主義者に襲われ、翌日死去した。
もりありまさ【森有正】
[1911〜1976]哲学者。東京の生まれ。有礼 (ありのり) の孫。東大助教授を辞してフランスに移住。デカルト・パスカルの研究に従事。著「デカルトとパスカル」「バビロンの流れのほとりにて」。
もりえと【森絵都】
[1968〜 ]小説家・児童文学作家。東京の生まれ。本名、雅美。児童文学やアニメーションのシナリオの執筆の後、少年少女の揺れ動く心理をみずみずしく描いた作品で若年層の共感を得る。「風に舞いあがるビニールシート」で直木賞受賞。他に「DIVE!!」シリーズ、「宇宙のみなしご」「カラフル」など。
もりおうがい【森鴎外】
[1862〜1922]小説家・評論家・翻訳家・軍医。島根の生まれ。本名、林太郎。別号、観潮楼主人など。森茉莉の父。陸軍軍医としてドイツに留学。軍医として昇進する一方、翻訳・評論・創作・文芸誌刊行などの多彩な文学活動を展開。晩年、帝室博物館長。翻訳「於母影 (おもかげ) 」「即興詩人」「ファウスト」、小説「舞姫」「青年」「雁」「ヰタ‐セクスアリス」「阿部一族」「高瀬舟」「渋江抽斎」。 石川淳の評論。昭和16年(1941)刊行。の人物像・作品群について、独自の視点と解釈で論じている。
もりかいなん【森槐南】
[1863〜1911]漢詩人。愛知の生まれ。春濤 (しゅんとう) の子。本名、公泰。字 (あざな) は大来 (たいらい) 。明治漢詩壇の第一人者といわれた。著「唐詩選評釈」「古詩平仄 (ひょうそく) 論」「槐南集」。
もりかく【森恪】
[1882〜1932]政治家・実業家。大阪の生まれ。名は、正しくは「つとむ」。三井物産に入り、対中国投資・利権獲得に活躍。のち、政界に入り、田中義一内閣の外務政務次官として東方会議を主宰。政友会幹事長・犬養内閣書記官長を歴任。軍部と結んで積極的な侵略政策を推進した。
もりかずお【森一生】
[1911〜1989]映画監督。愛媛の生まれ。戦前戦後を通じて時代劇を中心に数々の作品を量産し、人気を集めた。やくざ映画や怪談などにも手腕を発揮。代表作「不知火検校 (しらぬいけんぎょう) 」「薄桜 (はくおう) 記」「ある殺し屋」など。
もりしげお【森茂雄】
[1906〜1977]野球選手・監督。愛媛の生まれ。早大卒業後、母校松山商業野球部の監督となり、昭和10年(1935)の夏の甲子園で優勝。翌年大阪タイガース(阪神の前身)初代監督に就任。のちイーグルス監督を経て大洋(横浜DeNAの前身)球団代表を務めた。
もりしゅんとう【森春濤】
[1819〜1889]江戸末期・明治初期の漢詩人。尾張の人。槐南 (かいなん) の父。名は魯直。字 (あざな) は希黄。漢詩の清新な詩風を唱えた。著「春濤詩鈔」。