・・・しかし彼の興奮が極度に達している事は、時々彼があたりへ投げる、気違いじみた視線にも明かであった。 苦しい何秒かが過ぎた後、戸の向うからはかすかながら、ため息をつく声が聞えて来た。と思うとすぐに寝台の上へも、誰かが静に上ったようであった。・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・父は永年国家とか会社銀行とかの理財事務にたずさわっていたけれども、筆算のことにかけては、極度に鈍重だった。そのために、自分の家の会計を調べる時でも、父はどうかするとちょっとした計算に半日もすわりこんで考えるような時があった。だから彼が赤面し・・・ 有島武郎 「親子」
・・・若い時には極度に苦しんだり悲しんだりすると、往々卒倒して感覚を失うことがあった。その発作は劇しいもので、男が二、三人も懸られなければ取り扱われないほどであった。私たちはよく母がこのまま死んでしまうのではないかと思ったものである。しかし生来の・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・およそその後今日までに私の享けた苦痛というものは、すべての空想家――責任に対する極度の卑怯者の、当然一度は受けねばならぬ性質のものであった。そうしてことに私のように、詩を作るということとそれに関聯した憐れなプライドのほかには、何の技能ももっ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 実際の状況はと見れば、僅かに人畜の生命を保ち得たのに過ぎないのであるが、敵の襲撃があくまで深酷を極めているから、自分の反抗心も極度に興奮せぬ訳にゆかないのであろう。どこまでも奮闘せねばならぬ決心が自然的に強固となって、大災害を哀嘆して・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・生命を極端に重んずるから、死の悲哀が極度に己れを苦しめる。だから向上心の弱い人には幸福はないということになる。宗教の問題も解決はそこに帰するのであろう、朝に道を聞いて夕べに死すとも可なりとは、よく其精神を説明して居るではないか。 岡村は・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・でも、また、「禍の島」でも、極度に達したときは変わりがなかったからです。とにかく、みんなは、たがいに欲深であったり、嫉妬しあったり、争い合ったりする生活に愛想をつかしました。そして、これがほんとうの人生であるとは、どうしても真に信じられなか・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・なにしろ極度に疲れていますから。私は、できるだけの手当てをいたしますが……。」と、B医師は答えました。 その夜、老人は、最後にしんせつな介抱を受けながら死んでゆきました。すこしばかり前、かたわらにあった小さな荷物を指しながら、訴えるよう・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・何となれば芸術は凡ての現実の極度だからである。信念の欠けた生活や、信仰の伴わない空虚な言葉、それらが何んで現実的であり得よう。 どんな人間でも年から年中、異常な感激を持すことは、困難な事である。不断の感激を心に持するということは、其の人・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・フランスのように人間の可能性を描く近代小説が爛熟期に達している国で、サルトルが極度に追究された人間の可能性を、一度原始状態にひき戻して、精神や観念のヴェールをかぶらぬ肉体を肉体として描くことを、人間の可能性を追究する新しい出発点としたことは・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫