・・・ 横堀筋違橋ほとりの餅屋の二階を月三円で借り、そこを発行所として船場新聞というあやしい新聞をだしたのは、それから一年後のことであった。俥夫三年の間にちびちび溜めて来たというものの、もとより小資本で、発行部数も僅か三百、初号から三号までは・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「横堀じゃないか」小学校で同じ組だった横堀千吉だった。「へえ。――済んまへん」 ふとあげた顔を面目なさそうにそむけた。左の眼から頬へかけて紫色にはれ上り、血がにじんでいる。師走だというのに夏服で、ズボンの股が大きく破れて猿股が見・・・ 織田作之助 「世相」
・・・春は桜の賑ひよりかけて、なき玉菊が燈籠の頃、つづいて秋の新仁和賀には十分間に車の飛ぶことこの通りのみにて七十五輌と数へしも、二の替りさへいつしか過ぎて、赤蜻蛉田圃に乱るれば、横堀に鶉なく頃も近きぬ。朝夕の秋風身にしみわたりて、上清が・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫