・・・何しろ横浜のメリケン波戸場の事だから、些か恰好の異った人間たちが、沢山、気取ってブラついていた。私はその時、私がどんな階級に属しているか、民平――これは私の仇名なんだが――それは失礼じゃないか、などと云うことはすっかり忘れて歩いていた。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
こう云う船だった。 北海道から、横浜へ向って航行する時は、金華山の燈台は、どうしたって右舷に見なければならない。 第三金時丸――強そうな名前だ――は、三十分前に、金華山の燈台を右に見て通った。 海は中どころだっ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・何と思ッてるだろう。横浜に行ッてることと思ッてるだろうなア。すき好んで名代部屋に戦えてるたア知らなかろう。さぞ恨んでるだろうなア。店も失くした、お千代も生家へ返してしまッた――可哀そうにお千代は生家へ返してしまッたんだ。おれはひどい奴だ――・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・どうも落ちつかぬ。横浜のイギリス埠頭場へ持って来て、洋行を送る処にして見た。やはり落ちつかぬ。月夜の沖遠く外国船がかかって居る景色をちょっと考えたが、また桟橋にもどった。桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善・・・ 正岡子規 「句合の月」
○ベースボール に至りてはこれを行う者極めて少くこれを知る人の区域も甚だ狭かりしが近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合ありしより以来ベースボールという語ははしなく世人の耳に入りたり。されどもベースボールの何たるやはほとん・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ある婦人雑誌では某作家が横浜の特殊な病院へ入院中の夜の娘たちを訪問して座談会をしている。よこずわりの娘たちは某作家から、あなたがたは第一線の花形です、とたたえられている。せめて毒のない花になってほしい、とはげまされている。それに答える娘たち・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
写真機についての思い出は、大層古いところからはじまる。 私が九つになった年の秋に、イギリスに五年いた父親がかえって来た。横浜へ迎えにゆくというので、その朝は暗いうちに起きて、ラムプの下へ鏡台を出して母は髪を結った。私は・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・ 石田はこれだけ見て、一旦爺さんに別れて帰ったが、家はかなり気に入ったので、宿屋のお上さんに頼んで、細かい事を取り極めて貰って、二三日立って引き越した。 横浜から舟に載せた馬も着いていたので、別当に引き入れさせた。 勝手道具を買・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・「小石川区小日向台町何丁目何番地に新築落成して横浜市より引き移りし株式業深淵某氏宅にては、二月十七日の晩に新宅祝として、友人を招き、宴会を催し、深更に及びし為め、一二名宿泊することとなりたるに、其一名にて主人の親友なる、芝区南佐久間町何・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・たしか大正四年の紅葉のころで、横浜の三渓園へ文人画を見に行ったのである。 私は大正四年の夏の初めに、大森から鵠沼へ居を移した。そのころにちょうど東京横浜間は電化されたが、鵠沼から東京へ出るには汽車のほかはなく、それも二時間近くかかったと・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫