・・・遠州横須賀の徒士のものだった塙団右衛門直之はいつか天下に名を知られた物師の一人に数えられていた。のみならず家康の妾お万の方も彼女の生んだ頼宣のために一時は彼に年ごとに二百両の金を合力していた。最後に直之は武芸のほかにも大竜和尚の会下に参じて・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
或曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はいなかった。外を覗くと、うす暗いプラットフォオムにも、今日は珍しく・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
1 鼠 一等戦闘艦××の横須賀軍港へはいったのは六月にはいったばかりだった。軍港を囲んだ山々はどれも皆雨のために煙っていた。元来軍艦は碇泊したが最後、鼠の殖えなかったと云うためしはない。――××もまた同じこ・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
今度の戦で想い出した、多分太沽沖にあるわが軍艦内にも同じような事があるだろうと思うからお話しすると、横須賀なるある海軍中佐の語るには、 わが艦隊が明治二十七年の天長節を祝したのは、あたかも陸兵の華園口上陸を保護するため・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・ そのために東京、横浜、横須賀以下、東京湾の入口に近い千葉県の海岸、京浜間、相模の海岸、それから、伊豆の、相模なだに対面した海岸全たいから箱根地方へかけて、少くて四寸以上のゆれ巾、六寸の波動の大震動が来たのです。それが手引となって、東京・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・四万円とか、一万坪とか、青島とか、横須賀とかいう言葉が聞こえた時に私の頭にはどういうものかさっき見た総持寺の幻影がまた蘇って来た。 兵隊が二、三人鉄砲を持ってはいって来た。銃口にはめた真鍮の蓋のようなものを注意して見ているうちに、自分が・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・大船にて横須賀行の軍人下りたるが乗客はやはり増すばかりなり。隣りに坐りし静岡の商人二人しきりに関西の暴風を語り米相場を説けば向うに腰かけし文身の老人御殿場の料理屋の亭主と云えるが富士登山の景況を語る。近頃は西洋人も婦人まで草鞋にて登る由なり・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 役者の佐々木孝丸さんは、ペルリ上陸記念碑のある横須賀の久里浜に住んでいるが、すこぶる釣り好きで、よく私を誘った。このごろはどちらも忙しくなって、いっしょに釣りをする機会もなくなってしまったが、久里浜にも二、三回、行ったことがある。東京・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・専攻は数学で、異常な数学の天才だという説明もあり、現在は横須賀の海軍へ研究生として引き抜かれて詰めているという。「もう周囲が海軍の軍人と憲兵ばかりで、息が出来ないらしいのですよ。だもんだから、こっそり脱け出して遊びに来るにも、俳号で来る・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫