・・・が、その中でも目についたのは、欄干の外の見物の間に、芸者らしい女が交っている。色の蒼白い、目の沾んだ、どこか妙な憂鬱な、――」「それだけわかっていれば大丈夫だ。目がまわったも怪しいもんだぜ。」 飯沼はもう一度口を挟んだ。「だから・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・現にその日も万八の下を大川筋へ出て見ますと、大きく墨をなすったような両国橋の欄干が、仲秋のかすかな夕明りを揺かしている川波の空に、一反り反った一文字を黒々とひき渡して、その上を通る車馬の影が、早くも水靄にぼやけた中には、目まぐるしく行き交う・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・朱塗りの欄干が画いたように、折れ曲っている容子なぞでは、中々大きな構えらしい。そのまた欄干の続いた外には、紅い芙蓉が何十株も、川の水に影を落している。僕は喉が渇いていたから、早速その酒旗の出ている家へ、舟をつけろと云いつけたものだ。「さ・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・形ばかりの竹を縄搦げにした欄干もついた、それも膝までは高くないのが、往き還り何時もぐらぐらと動く。橋杭ももう痩せて――潮入りの小川の、なだらかにのんびりと薄墨色して、瀬は愚か、流れるほどは揺れもしないのに、水に映る影は弱って、倒に宿る蘆の葉・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄昏になる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、門も、欄干も、襖も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧と見えなくなって、国中、町中にただ一条、その桃の古小路ばかりが・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
一「謹さん、お手紙、」 と階子段から声を掛けて、二階の六畳へ上り切らず、欄干に白やかな手をかけて、顔を斜に覗きながら、背後向きに机に寄った当家の主人に、一枚を齎らした。「憚り、」 と身を横に・・・ 泉鏡花 「女客」
一 さよ子は毎日、晩方になりますと、二階の欄干によりかかって、外の景色をながめることが好きでありました。目のさめるような青葉に、風が当たって、海色をした空に星の光が見えてくると、遠く町の燈火が、乳色のもやのうちから、ちらちらとひ・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・私は太左衛門橋の欄干に凭れて、道頓堀川の汚い水を眺めているうちに、ふと東京へ行こうと思った。 その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ。一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩い・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ ある日、そんな風にやっとの努力で渡って行った轍の音をききながら、ほっとして欄干をはなれようとすると、一人の男が寄ってきた。貧乏たらしく薄汚い。哀れな声で、針中野まで行くにはどう行けばよいのかと、紀州訛できいた。渡辺橋から市電で阿倍野ま・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・辰弥の耳は逸早く聞きつけて振り返りぬ。欄干にあらわれたるは五十路に近き満丸顔の、打見にも元気よき老人なり。骨も埋もるるばかり肥え太りて、角袖着せたる布袋をそのまま、笑ましげに障子の中へ振り向きしが、話しかくる一言の末に身を反らせて打ち笑いぬ・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫