・・・電車は広い大通りを越して向側のやや狭い街の角に止まるのを待ちきれず二、三人の男が飛び下りた。「止りましてからお降り下さい。」と車掌のいうより先に一人が早くも転んでしまった。無論大した怪我ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 舟はカメロットの水門に横付けに流れて、はたと留まる。白鳥の影は波に沈んで、岸高く峙てる楼閣の黒く水に映るのが物凄い。水門は左右に開けて、石階の上にはアーサーとギニヴィアを前に、城中の男女が悉く集まる。 エレーンの屍は凡ての屍のうち・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・来た頃は留学中の或教授の留守居というのであったが、遂にここに留まることとなり、烏兎怱々いつしか二十年近くの年月を過すに至った。近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨して、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君の・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ この悪風の弊害は、決して一家の内に止まるものにあらず。その波及する所、最も広くしてかつ大なり。ここにその一を述べん。かの政談家の常に患える所は、結局民権退縮・専制流行の一箇条にあり。いかにも人間社会の一大悪事にして、これを救わんとする・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・で、面白いということは唯だ趣味の話に止まるが、その趣味が思想となって来たのが即ち社会主義である。 だから、早く云って見れば、文学と接触して摩れ摩れになって来るけれども、それが始めは文学に入らないで、先ず社会主義に入って来た。つまり文学趣・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・という肝癪の一言を以てその座を逐払うに止まるであろう。野心、気取り、虚飾、空威張、凡そこれらのものは色気と共に地を払ってしまった。昔自ら悟ったと思うて居たなどは甚だ愚の極であったということがわかった。今まで悟りと思うて居たことが、悟りでなか・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・それだけのところに止まるとすれば私たち女自身の屈辱があるばかりだと思う。〔一九四〇年十二月〕 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・生活の需要なんぞというものも、高まろうとしている傾はいつまでも止まることはあるまい。そんなら工場の利益の幾分を職工に分けて遣れば好いか。その幾分というものも、極まった度合にはならない。 工場を立てて行くには金がいる。しかし金ばかりでは機・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ても耳の底に残るように懐かしい声、目の奥に止まるほどに眤しい顔をば「さようならば」の一言で聞き捨て、見捨て、さて陣鉦や太鼓に急き立てられて修羅の街へ出かければ、山奥の青苔が褥となッたり、河岸の小砂利が襖となッたり、その内に……敵が……そら、・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ いつまでも続く女の子の笑い声を聞いていると、灸はもう止まることが出来なかった。笑い声に煽られるように廊下の端まで転がって来ると階段があった。しかし、彼にはもう油がのっていた。彼はまた逆様になってその段々を降り出した。裾がまくれて白い小・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫