・・・ もし今日の知識階級と名の付く者の中に、社会主義的精神の分らない者があったなら、其者は馬鹿とか利巧とか評される前に恐らく良心がないかを疑われるであろう。正邪、善悪のあまり明かな事実を見ているにかゝわらず、彼の心には、何の感激もないからで・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・元来品行の正邪は本人の性質に由り時の事情に由り教育の方法にも由ることなれども、就中これを不正に導くものは家風に在りと断言して可なり。幼少の時より不整頓不始末なる家風の中に眠食し、厳父は唯厳なるのみにして能く人を叱咤しながら、其一身は則ち醜行・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・勢なれば、文明の風に多妻多男を嫌忌して、そのこれを嫌忌するの成跡は甚だ美にして、今日の人の家を成し国を立つるに最も適当し、これに反するものは必ず害を被りて免るべからざること、既に明らかなれば、理論上の正邪はともかくも、一国人民として自国自家・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・とし、小説というものは「老若男女善悪正邪の心のうちの内幕をば洩す所なく描き出して周密精到、人情をば灼然として見えしむる」ものでなければならず、而も「よしや人情を写せばとて其皮相のみを写したるものはいまだ之を真の小説とは言ふべからず。其骨髄を・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ われわれは、いかなる者と雖も、資本主義の機構の上にある以上、資本主義を、その正邪にかかわらず、認めなければならぬ。またわれわれは、いかなるものと雖も、マルキシズムを、その正邪にかかわらず、存在する以上は認めなければならぬ。何故なら・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
出典:青空文庫