・・・その内にもう秋風が立って、城下の屋敷町の武者窓の外には、溝を塞いでいた藻の下から、追い追い水の色が拡がって来た。それにつれて一行の心には、だんだん焦燥の念が動き出した。殊に左近は出合いをあせって、ほとんど昼夜の嫌いなく、松山の内外を窺って歩・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・白蓮事件、有島事件、武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。ではなぜ公衆は醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう? グルモンはこれに答えている。――「隠れたる自己の醜聞も当り前のよう・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・門の外では、生暖い風が、桜の花と砂埃とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。 二 田中宇左衛門 林右衛門・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・と言ってももちろん鎧武者ではない。ごく小さい桶屋だった。しかし主人は標札によれば、加藤清正に違いなかった。のみならずまだ新しい紺暖簾の紋も蛇の目だった。僕らは時々この店へ主人の清正を覗きに行った。清正は短い顋髯を生やし、金槌や鉋を使っていた・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・軍めく二人の嫁や花あやめ また、安永中の続奥の細道には――故将堂女体、甲冑を帯したる姿、いと珍し、古き像にて、彩色の剥げて、下地なる胡粉の白く見えたるは、卯の花や縅し毛ゆらり女武者 としるせりとぞ。この両様と・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ なかなかもって、どうして古狸の老武者が、そんな事で行くものか。「これは堅い、堅い。」「巌丈な金具じゃええ。」 それ言わぬ事ではない。「こりゃ開かぬ、鍵が締まってるんじゃい。」 と一まず手を引いたのは、茶紬の親仁で。・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・とばかりで、この武者修業の、足の遅さ。 三晩目に、漸とこさと山の麓へ着いたばかり。 織次は、小児心にも朝から気になって、蚊帳の中でも髣髴と蚊燻しの煙が来るから、続けてその翌晩も聞きに行って、汚い弟子が古浴衣の膝切な奴を、胸の処でだら・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・「そりゃ何しろとんだ事だ、私は武者修行じゃないのだから、妖怪を退治るという腕節はないかわりに、幸い臆病でないだけは、御用に立って、可いとも! 望みなら一晩看病をして上げよう。ともかくも今のその話を聞いても、その病人を傍へ寝かしても、どう・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・謹厳方直容易に笑顔を見せた事がないという含雪将軍が緋縅の鎧に大身の槍を横たえて天晴な武者ぶりを示せば、重厚沈毅な大山将軍ですらが丁髷の鬘に裃を着けて踊り出すという騒ぎだ。ましてやその他の月卿雲客、上臈貴嬪らは肥満の松風村雨や、痩身の夷大黒や・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・一方には、従順に、勇敢に、献身的に、一色に塗りつぶされた武者人形。一方には、自意識と神経と血のかよった生きた人間。 勿論、「将軍」に最も正しく現実が伝えられているか否かは、検討の余地のある問題であるが、こゝには、すくなくとも故意の歪曲と・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
出典:青空文庫