・・・ その日最早や安次は自由に歩くことも出来なくなっていた。彼は勘次の家の小屋から戸板に吊られて新しい小屋まで運ばれた。 勘次は自分の手から全く安次が離れていったのだと思うと、今迄の安次に向っていた自分の態度は、尽く秋三に動かされていた・・・ 横光利一 「南北」
・・・あそこで大きな白熊がうろつき、ピングィン鳥が尻を据えて坐り、光って漂い歩く氷の宮殿のあたりに、昔話にありそうな海象が群がっている。あそこにまた昔話の磁石の山が、舟の釘を吸い寄せるように、探険家の心を始終引き付けている地極の秘密が眠っている。・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・ただ道を歩くだけでも、ひとりでは危険である。勢い小生がついて歩かなくてはならぬ。それでは小生が自分の任務を怠らなくてはならぬ。 こういうことを考えて小生は一月一日に父の計画を阻止する手紙を書いた。志は結構であるが、それを有効に実現するこ・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫