・・・しかも残らずこちらへ移ってしまったと思うと、すぐに最初来たのから動き出して、もとの書棚へ順々に飛び還って行くじゃありませんか。 が、中でも一番面白かったのは、うすい仮綴じの書物が一冊、やはり翼のように表紙を開いて、ふわりと空へ上りました・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・僕たちは一人残らずおまえを崇拝しているんだ。おまえが帰ると、この画室の中は荒野同様だ。僕たちは寄ってたかっておまえを讃美して夜を更かすんだよ。もっともこのごろは、あまり夜更かしをすると、なおのこと腹がすくんで、少し控え気味にはしているがね。・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ 前棒の親仁が、「この一山の、見さっせえ、残らず栃の木の大木でゃ。皆五抱え、七抱えじゃ。」「森々としたもんでがんしょうが。」と後棒が言を添える。「いかな日にも、はあ、真夏の炎天にも、この森で一度雨の降らぬ事はねえのでの。」清水の雫かつ迫・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・植木屋徒も誘われて、残らずどやどや駆けて出る。私はとぼんとして、一人、離島に残された気がしたんです。こんな島には、あの怪い大鼠も棲もうと思う、何となく、気を打って、みまわしますとね。」「はあ――」「ものの三間とは離れません。宮裏に、・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 婦は澄ましてフッと吹く……カタリ…… はッと頤を引く間も無く、カタカタカタと残らず落ちると、直ぐに、そのへりの赤い筒袖の細い雪で、一ツ一ツ拾って並べる。「堪らんですね、寒いですな、」 と髯を捻った。が、大きに照れた風が見え・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・炬燵から潜り出て、土間へ下りて橋がかりからそこを覗くと、三ツの水道口、残らず三条の水が一齊にざっと灌いで、徒らに流れていた。たしない水らしいのに、と一つ一つ、丁寧にしめて座敷へ戻った。が、その時も料理番が池のへりの、同じ処につくねんと彳んで・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・そのうちに、また、一羽残らず夜のうちに、どこへか飛んでいってしまいました。町の人たちは、なにか悪いことがなければいいがと、おそれていました。「あの汚らしいふうをした乞食の子は、悪魔の子だ。見つけしだいにひどいめにあわせて、この町の中から・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・ こっちはただの帆前船で、逃げも手向いも出来たものじゃねえ、いきなり船は抑えられてしまうし、乗ってる者は残らず珠数繋ぎにされて、向うの政府の猟船が出張って来るまで、そこの土人へ一同お預けさ」「まあ! さぞねえ。それじゃ便りのなかったのも・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・遮莫おれにしたところで、憐しいもの可愛ものを残らず振棄てて、山超え川越えて三百里を此様なバルガリヤ三界へ来て、餓えて、凍えて、暑さに苦しんで――これが何と夢ではあるまいか? この薄福者の命を断ったそればかりで、こうも苦しむことか? この人殺・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。 おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしい・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
出典:青空文庫