・・・留める涙 花は落ちて春山土亦香ばし 非命須らく薄命に非ざるを知るべし 夜台長く有情郎に伴ふ 犬山道節火遁の術は奇にして蹤尋ねかたし 荒芽山畔日将にしずまんとす 寒光地に迸つて刀花乱る 殺気人を吹いて血雨淋たり 予譲衣を撃つ本・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・晩秋の黄昏がはや忍び寄ったような翳の中を焦躁の色を帯びた殺気がふと行き交っていた。 第四角まで後方の馬ごみに包まれて、黒地に白い銭形紋散らしの騎手の服も見えず、その馬に投票していた少数の者もほとんど諦めかけていたような馬が、最後の直線コ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ふっと気がついたら、そのような五里霧中の、山なのか、野原なのか、街頭なのか、それさえ何もわからない、ただ身のまわりに不愉快な殺気だけがひしひしと感じられ、とにかく、これは進まなければならぬ。一寸さきだけは、わかっている。油断なく、そろっと進・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・そうして、ことごとく切先へ集まって、殺気を一点に籠めている。自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮められて、九寸五分の先へ来てやむをえず尖ってるのを見て、たちまちぐさりとやりたくなった。身体の血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ドタンドタン殺気と田舎らしい荒っぽさのこもった遊びぶりで、二階じゅうがゆれる。あげくに、廊下ですすり泣く声がして「よし、わかった、ナ? ええ、ええ」などと同僚になぐさめられている先生がいる。そういう有様。海抜二千八百尺のところでも、おお自動・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ ことしの夏は、殺気のみちたいやな夏であった。国鉄の整理については、政府も、ふりあげたわが刀の影におびえたように非常事態宣言の用意があるとか、「共産党は八月か九月に暴力革命をやるもくろみだ」とか、政府への反抗に先手をうつつもりで、かなり・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・列の前期の世相の殺気めいたものだと思う。 列の感覚というものは、どうやら違うようだ。岸田国士氏は、日本人が列のきびしさを知らず、前へわりこまれてもそれを黙っていることを非難しておられた。これを逆に云えば、列というものは、それが列だからと・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
出典:青空文庫