・・・そこに殺風景な木造の建築がある。その階下が浴場になっていた。 浴場は溪ぎわから石とセメントで築きあげられた部厚な壁を溪に向かって回らされていた。それは豪雨のために氾濫する虞れのある溪の水を防ぐためで、溪ぎわへ出る一つの出口がある切りで、・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・上は男の子供ばかりの殺風景な私の家にあっては、この娘が茶の間の壁のところに小乾す着物の類も目につくようになった。それほど私の家には女らしいものも少なかった。 今の住居の庭は狭くて、私が猫の額にたとえるほどしかないが、それでも薔薇や山茶花・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ ああ、もう東京はいやだ、殺風景すぎる、僕は北京に行きたい、世界で一ばん古い都だ、あの都こそ、僕の性格に適しているのだ、なぜといえば、――と、れいの該博の知識の十分の七くらいを縷々と私に陳述して、そうして間もなく飄然と渡支した。その頃、・・・ 太宰治 「佳日」
・・・もがきあがいて捜しあてた言葉は、「江の島の海は、殺風景であった」私はぐるっと海へ背をむけた。ここの海は浅く、飛びこんだところで、膝小僧をぬらすくらいのものであろう。私は、しくじりたくなかった。よしんばしくじっても、そのあと、そ知らぬふりので・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・今夜は、どうも、他に話題も無いし、せっかくおいで下さったのになんのおかまいも出来ず、これでは余り殺風景ですから、窮した揚句の果に、こんなものを持ち出したのですから、そこのところは貧者一燈の心意気にめんじて、面白くもないだろうけれど見てやって・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・ 音に聞く大正池の眺めは思いのほかに殺風景に思われた。しかし池畔からホテルへのドライヴウェーは、亭々たる喬木の林を切開いて近頃出来上がったばかりだそうであるが、樹々も路面もしっとり雨を含んで見るからに冷涼の気が肌に迫る。道路の真中に大き・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ これらの音につれてスクリーンに現われる映像は、ただの殺風景な兵隊の行列である。これがその場面場面でいろいろの違ったパースペクチヴで銀幕上に映出され進行する。始めにヒロインとその保護者がこの行列を見送る場面ではヒロインと観客は静止してい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・いつもは毎日一日役所の殺風景な薄暗い部屋にのみ籠っているし、日曜と云っても余計な調べ物や内職の飜訳などに追われて、こんな事を考えた事も少ないが、病んで寝てみると、急に戸外のうららかな光が恋しくて胸をくすぐられるようである。早くなおりたい。な・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・とある赤煉瓦の恐ろしく殺風景な建物の前に来たとき、案内者が「世界第一の煉瓦建築であります」と説明した。いかなる点が第一だかわからなかったが、とにかくアメリカは「俳諧のない国」だと思ったのであった。このアメリカ魂は、摩天楼のレコードを作ると同・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・こういう時にわれわれがもしも、自分のいちばんいやなようないちばん新しい傾向の品を買って来て我慢して使ってみていると、おしまいには案外それが好きになるかもしれない。殺風景だと思っていたコンクリートの倉庫も見慣れると賤が伏屋とはまたちがった詩趣・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
出典:青空文庫