・・・が、日本へ帰ったばかりのテオドラ嬢は日本の民間党の領袖に母国の大政治家ジスレリーを私淑する花形役者があるのを少しも知らなかったろうし、またこの和製ジスレリーが未来の良人となる事を少しも予期しなかったろう。噂だから虚実は解らぬが、当時のテオド・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・頭脳が透明であるのに母国語で書いた文章が晦渋をきわめているという場合は、よほどな特例であろうと思われるのである。 反対に「乙某の論文は内容は平凡でも文章がうまいからおもしろい」という場合がある。これも自分には疑わしい。平凡陳套な事実をい・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 先生はもと母国の大学で希臘語の教授をしておられた。それがある事情のため断然英国を後にして単身日本へ来る気になられたので、余らの教授を受ける頃は、まだ日本化しない純然たる蘇国語を使って講義やら説明やら談話やらを見境なく遣られた。それがた・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ パリには二月革命の機運に乗じて母国解放運動を起そうとして、各国の亡命者たちが集っていた。共産主義者同盟の人々の多くがドイツに帰って、さまざまの面で活動しはじめた。カールはドイツの中でも労働者の自覚が一番進んでいるケルン市に行った。二人・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・また十七歳の若々しい家庭教師として貴族の家庭で不愉快な周囲に苦しみながらも勉強のためにいくらかずつの貯金をし、休みの時は近所の百姓の子に真の母国の言葉ポーランド語を教えてやったりしていた時代の思い出。ドイツに蹂躙されたときいたときそれはみな・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・みんなは、みんなの母国語で歌った。が、モスクワの初冬の空気をツン裂いて、「ああインターナショナル」と歌われたとき、あらゆる国語の差別は消え全く一団の燃える声となって八方に響き渡った。 第二回革命作家国際会議がモスクワでもたれず、・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ポーランドや朝鮮は、その民族の悲劇として永年の間自分の国の言葉をうしなわされていた。母国語を奪われているということについて、ショパンは彼の音楽でどんなメロディーを訴えたろう。マダム・キュリーは小学生だったとき、奪われている母国語についてどん・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・九十六篇のほか小論文五百十四、戯曲六篇という尨大な制作を行い、しかも生涯借金に悩まされどおしで死んだ横溢的な世界的作家に母国語で親しめるということは、我々にとって遅すぎたとしても決して早すぎて到来した機会と言えないのである。 しかし、昨・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・彼女等はフランス語を母国語のように喋った。ドイツ語で夢を見、ドイツ語で哲学、文学の本をよんだ。音楽、ダンス、手芸。立派な家庭教師を雇ったり、女学校へ馬車で通わしたり、親たちはドシドシ娘を仕込んだ。親の目的は世界の俗っぽい親の目的どおり到って・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫