・・・父は、もともと、家庭教師を呼ぶ事には反対だったのですが、沢田先生のおくらしの一助という名目に負けて、おいでを願う事にしていたのであって、まさか、そんな無責任な綴方教育を授けているとは思いも寄らず、毎週いちど、少しは和子の学課の勉強の手伝いを・・・ 太宰治 「千代女」
・・・ 巣鴨から上野へと本郷通りを通るときに、また新しい経験をした。毎週一、二度は必ず車で通る大学前の通りが、今日はいつもとはまるでちがった別の町のように珍しく異様にそうして美しく眺められた。その事を云いだすと二人の子供も「オヤ、ほんとにそう・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ 私は過去十何年の間、ほとんど毎週のように金曜日には、深川の某研究所に通って来た。電車がずいぶん長くかかるのに、電車をおりてからの道がかなりあって、しかもそれがあまり感じのよくない道路である。それで特に雨の降る日などは、この金曜日が一倍・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ 十一 毎週一回新宿駅で東北沢行きの往復切符を買う。すると、改札口で切符切りの駅員がきっと特別念入りにその切符を検査するようである。しかし片道切符のときはろくに注意しないでさっさと鋏を入れるように見える。どういう・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・ 学生の有志の見学団で毎週のようにいろいろの見学参加募集をする。その広告が大学の玄関に貼り出される。当時は世界第一であったナウエンの無線電信発信所を見物したのもこの見学団の一員としてであった。テレフンケン・システムの大きな蛇のようなスパ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・とにかくそれまでの間に、森先生に御迷惑をかけるような失態を演じ出さないようにと思ってわたくしは毎週一、二回仏蘭西人某氏の家へ往って新着の新聞を読み、つとめて新しい風聞に接するようにしていた。三年の歳月は早くも過ぎ、いつか五年六年目となった。・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・けれどもその当時は毎週五、六時間必ず先生の教場へ出て英語や歴史の授業を受けたばかりでなく、時々は私宅まで押し懸けて行って話を聞いた位親しかったのである。 先生はもと母国の大学で希臘語の教授をしておられた。それがある事情のため断然英国を後・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・高等学校を御卒業なさいましても、誰とも交際なさらずに、寂しく暮らしていらっしゃる時の事で、毎週木曜日と日曜日とには、きっとおいでなさいましたのね。あの時はまだお父う様がお亡くなりなすって、お母あ様がお里へお帰りになった当座でございましたのね・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・大体そのことは分っているのに、何だか毎週待つから可笑しい。あなたのお体のことは、勿論絶えず念頭にありますが、私は決してくよくよ案じては居りません。そのことは、呉々御安心下さい。自然の治癒力について私は自分の経験から或理解をもって居りますし、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・それは毎週一度ずつ開かれる詮衡委員会が新刊児童文学につけた成績表である。 ――赤いのが一番いい部です。紫、黒のになると他の図書館へは買いません。緑のは、私共自身にはっきりわからないのです。果して子供が面白がるか、理解するか、若しかすると・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
出典:青空文庫