・・・さっきこの婆のものを云う声が、蟇の呟くようだったと云いましたが、こうして坐っているのを見ると、蟇も蟇、容易ならない蟇の怪が、人間の姿を装って、毒気を吐こうとしているとでも形容しそうな気色ですから、これにはさすがの新蔵も、頭の上の電燈さえ、光・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 大空には、あたかもこの海の沖を通って、有磯海から親不知の浜を、五智の如来へ詣ずるという、泳ぐのに半身を波の上に顕して、列を造って行くとか聞く、海豚の群が、毒気を吐掛けたような入道雲の低いのが、むくむくと推並んで、動くともなしに、見てい・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 従七位は、白痴の毒気を避けるがごとく、笏を廻して、二つ三つ這奴の鼻の尖を払いながら、「ふん、で、そのおのれが婦は、蜘蛛の巣を被って草原に寝ておるじゃな。」「寝る時は裸体だよ。」「む、茸はな。」「起きとっても裸体だにのう・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・が、その影でさえ、触ったら、毒気でたちまち落ちたろう。――畷道の真中に、別に、凄じい虫が居た。 しかも、こっちを、銑吉の方を向いて、髯をぴちぴちと動かす。一疋七八分にして、躯は寸に足りない。けれども、羽に碧緑の艶濃く、赤と黄の斑を飾って・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 気の弱い寺田はもともと注射が嫌いで、というより、注射の針の中には悪魔の毒気が吹込まれていると信じている頑冥な婆さん以上に注射を怖れ、伝染病の予防注射の時など、針の先を見ただけで真蒼になって卒倒したこともあり、高等教育を受けた男に似合わ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・先生も山椒魚の毒気にあてられて、とうとう駄目になってしまったのではなかろうかと私は疑い、これからはもうこんなつまらぬ座談筆記は、断然おことわりしようと、心中かたく決意したのである。その日は私もあまりの事に呆れて、先生のお顔が薄気味わるくさえ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・その後僕は君と交っている間、君の毒気に中てられて死んでいた心を振い起して高い望を抱いたのだが、そのお蔭で無慙な刺客の手にかかって、この刃を胸に受けて溝壑に捨てられて腐ってしまったのだ。しかし君のように誰のためにするでもなく、誰の恩を受けるで・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・力が非常に強く、かたちも大層恐ろしく、それにはげしい毒をもっていましたので、あらゆるいきものがこの竜に遭えば、弱いものは目に見ただけで気を失って倒れ、強いものでもその毒気にあたってまもなく死んでしまうほどでした。この竜はあるとき、よいこ・・・ 宮沢賢治 「手紙 一」
・・・御龍のなめらかなひやっこいきめの間から段々自分の命を短くする毒気が立って居るらしく思われそのまっくらな森の様な気のする髪の中には蛇が沢山住んで居やしまいかと男は思った。「私は御前を知らない方がきっと幸福だったろうネ又お前だってそうだった・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・その有様のあさましさは今日の想像しにくい毒気をまきちらした。 もとより、一九三一――三年間の、日本におけるプロレタリア文化・芸術運動の方針が、それとしてきりはなして今日研究されたとき、指摘されるべきいくつかの論点があることは明白である。・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
出典:青空文庫