・・・ 火鼠の裘ですか、蓬莱の玉の枝ですか、それとも燕の子安貝ですか? 小町 まあ、お待ちなさい。わたしのお願はこれだけです。――どうかわたしを生かして下さい。その代りに小野の小町を、――あの憎らしい小野の小町を、わたしの代りにつれて行って下・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・私はだらしのない愛情のように太陽が癪に触った。裘のようなものは、反対に、緊迫衣のように私を圧迫した。狂人のような悶えでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。 こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・それより今日に至るまで葛裘を変ること二十たびである。この間にわたくしは西洋に移り住もうと思立って、一たびは旅行免状をも受取り、汽船会社へも乗込の申込までしたことがあった。その頃は欧洲行の乗客が多いために三カ月位前から船室を取る申込をして置か・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・満園ノ奇香微風ニ動クハ菟裘ノ薔薇ヲ栽ルナリ。ソノ清幽ノ情景幾ンド画図モ描ク能ハズ。文詩モ写ス能ハザル者アリ。シカシテ遊客寥々トシテ尽日舟車ノ影ヲ見ザルハ何ゾヤ。」およそ水村の風光初夏の時節に至って最佳なる所以のものは、依々たる楊柳と萋々たる・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫