・・・ それはまだ許せるとしても、妻は櫛部某の卑しいところに反って気安さを見出している、――僕はそこに肚の底から不快に思わずにはいられぬものを感じた。「子供に父と言わせられる人か?」「そんなことを言ったって、……」「駄目だ、いくら弁解・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・K中尉は幾分か気安さを感じ、やっときょうの海戦中の心もちなどを思い出していた。「もう一度わたくしはお願い致します。善行賞はお取り上げになっても仕かたはありません。」 下士は俄に顔を挙げ、こう甲板士官に話しかけた。K中尉は思わず彼を見・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・わたしはそこに気安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰ったりした。けれども何かの拍子には目さえ動かさない彼女の姿にある妙な圧迫を感じることもない訣ではなかった。 わたしの制作は捗どらなかった。わたしは一日の仕事を終ると、大抵・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・自分は貧乏なればこそ物に囚れず、従ってこの気安さがあり、自然の美に親しむことが出来るのでありましょう。 いま私は陣々たる春風に顔を吹かせて、露台に立っています。 そして水盤の愛する赤い石をながめながら我が死後、幾何の間、石はこのまま・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・そうして、自分等がたとえ玄人の絵に対して思ったままの感じを言明しても、それは作者の名誉にも不名誉にもならないという気安さがある。これは実に有難い事である。無責任だというのではないが、何人をも傷つけること無しに感情の自由な発表が許されるからで・・・ 寺田寅彦 「二科会展覧会雑感」
・・・それを予め知っておらぬと細君も驚く事があるかも知れぬが根が気安過ぎるからの事である故驚く事はない。いったい誰れに対してもあたりの良い人の不平の漏らし所は家庭だなど云う。室の庭に向いた方の鴨居に水彩画が一葉隣室に油画が一枚掛っている。皆不折が・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・ 女の無智やあさましさのあらわれているような風がなくなったことは或る気安さにちがいないのだけれど、私たちにはやっぱり、あの人たちがあの心と一緒に今はどんな装のなかにはいって歩いて、暮しているのだろうかと思われる。質実ということは大切なこ・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・ このカーブさえ曲れば、もうお終いだという心の緩みと、労力の費されない気安さとで、下らないお喋りに有頂天になっている者達の胸は、ただ義務的に柄に触れているというに過ぎなかった。 まるで生物のようによく転るロールについて、人々が今、カ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・と云ってやると、女は気安そうに笑いをうかべながら、「お前様、今朝ね、お繁婆さんが来やしてない町さ行くが買物はねえかってききながら昨日の事云いやしたのえ。一寸も知りましねえでない。御無礼致しやした。己ら家の餓鬼奴等も亦何っちゅ・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫