・・・「が、一時一時と時の移って行くのも知らないように、見物は皆片唾を飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえて居るのでございましょう。門の下の人の海は益広がって行くばかりで、しばらくする内には牛車の数も、所によっては車の軸が互に押し合いへし合うほ・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・B 気長い事を言うなあ。君は元来性急な男だったがなあ。A あまり性急だったお蔭で気長になったのだ。B 悟ったね。A 絶望したのだ。B しかしとにかく今の我々の言葉が五とか七とかいう調子を失ってるのは事実じゃないか。A・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 取扱いが如何にも気長で、「金額は何ほどですか。差出人は誰でありますか。貴下が御当人なのですか。」 などと間伸のした、しかも際立って耳につく東京の調子で行る、……その本人は、受取口から見た処、二十四、五の青年で、羽織は着ずに、小・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ああいうおせんのような女をよく面倒見て、気長に注意を怠らないようにしてやれば、年をとるに随って、存外好い主婦と成ったかも知れない。多情も熟すれば美しい。 人間の価値はまるで転倒して了った。彼はおせんと別れるより外に仕方が無かったことを哀・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・兄は弟と違って気長な子供でしたから「大丈夫、榎木の実はもう紅くなって居る。」と安心して、ゆっくり構えて出掛けて行きました。兄の子供が木の実を拾いに行きますと、高い枝の上に居た橿鳥がまた大きな声を出しまして、「遅過ぎた。遅過ぎた。」と鳴き・・・ 島崎藤村 「二人の兄弟」
・・・らたにせざるを得なかったわけであったが、私には故郷の老母のような愚かな親心みたいなものもあって、彼の大抱負を聞いて喜ぶと共に、また一面に於いては、ハラハラして、とにかくまあ、三日坊主ではなく、飽かずに気長にやって下さい、からだには充分に気を・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ただたまにはラマンのような例もあるから、われわれはそういう毛色の変わった学者たちも気長い目で守り立てたいと思うのである。 この世界的物理学者の話と、川崎の煙突男の話とにはなんら直接の関係はない。前者は賞をもらったが、後者は家宅侵入罪その・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・それでこれらの人々から受けた親切は一々明細に記録しておいて、気長にそしてなしくずしにこれを償却しなければならないのである。 そこへ行くとさすがに都会の人の冷淡さと薄情さはサッパリしていて気持ちがいい。大雨の中を頭からぬれひたって銀座通り・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・先生は汚らしい桶の蓋を静に取って、下痢した人糞のような色を呈した海鼠の腸をば、杉箸の先ですくい上げると長く糸のようにつながって、なかなか切れないのを、気長に幾度となくすくっては落し、落してはまたすくい上げて、丁度好加減の長さになるのを待って・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・女は壁の方に向いて、前掛と帯と何本かの紐とを、随分気長に解いている。「先生が御覧になるかも知れないと思って、さっきそのままで待っているように云っといたのですが」 と、佐藤は言分けらしくつぶやいた。掛布団もない寝台の上でそのまま待てと・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫