・・・うす暗い床の間には、寒梅と水仙とが古銅の瓶にしおらしく投げ入れてあった。軸は太祇の筆であろう。黄色い芭蕉布で煤けた紙の上下をたち切った中に、細い字で「赤き実とみてよる鳥や冬椿」とかいてある。小さな青磁の香炉が煙も立てずにひっそりと、紫檀の台・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・ そこが地袋で、手が直ぐに、水仙が少しすがれて、摺って、危く落ちそうに縋ったのを、密と取ると、羽織の肩を媚かしく脱掛けながら、受取ったと思うと留める間もなく、ぐ、ぐ、と咽喉を通して一息に仰いで呑んだ。「まあ、お染。」「だって、こ・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・旭光一射霜を払いて、水仙たちまち凜とせり。 病者は心地好げに頷きぬ。「可し、よく聞け、お貞。人の死ぬのを一日待に待ち殺して、あとでよい眼を見ようというはずるいことだ。考えてみろ。お前は今までに人情の上から吾に数え切れない借があろう。・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・二三種の花が咲いている。水仙の一と株に花床が尽きて、低い階段を拾うと、そこが六畳の中二階である。自分が記念に置いて往った摺絵が、そのままに仄暗く壁に懸っている。これが目につくと、久しぶりで自分の家に帰ってきでもしたように懐しくなる。床の上に・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・私は、いま、ベッドに腹這いになって、鉛筆をなめなめ、考え考えして、一字、一字、書きすすめ、もう、死ぬるばかり苦しくなって、そうして、枕元の水仙の花を見つめて居ります。電気スタンドの下で水仙の花が三輪、ひとつは右を向き、ひとつは左を向き、もう・・・ 太宰治 「古典風」
・・・その青銅の指輪には、黄色い石で水仙の花がひとつ飾りつけられていた。私は、それをKあてに送った。 Kは、そのおかえしとして、ことし三歳になるKの長女の写真を送って寄こした。私はけさ、その写真を見た。・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・けさは水仙を床の間の壺に投げ入れた。ああ、日本は、佳い国だ。パンが無くなっても、酒が足りなくなっても、花だけは、花だけは、どこの花屋さんの店頭を見ても、いっぱい、いっぱい、紅、黄、白、紫の色を競い咲き驕っているではないか。この美事さを、日本・・・ 太宰治 「新郎」
・・・ 水仙の絵である。バケツに投げ入れられた二十本程の水仙の絵である。手にとってちらと見てビリビリと引き裂いた。「なにをなさる!」老画伯は驚愕した。「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持の奥さんに、おべっかを言っていただ・・・ 太宰治 「水仙」
・・・「長三郎に魁車がつきあうのやけれど、すいた水仙のところなんか、何だか変なもんや。私いくつ時分だったか、一本歯をはいて、ここの板敷を毎日毎日布を晒らしてあるいていたもんや」お絹はそう言って、銚子にごぽごぽ酒を移していた。 廓はどこもし・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・クリスマスの夜の空に明月を仰ぎ、雪の降る庭に紅梅の花を見、水仙の花の香をかぐ時には、何よりも先に宗達や光琳の筆致と色彩とを思起す。秋冬の交、深夜夢の中に疎雨斑々として窓を撲つ音を聞き、忽然目をさまして燈火の消えた部屋の中を見廻す時の心持は、・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫