・・・温泉の水口はとめられていて、乾あがった湯槽には西日がさしこみ、楢の落葉などが散っていた。白樺の細い丸木を組んだ小橋が、藪柑子の赤い溝流れの上にかかったりしていたところからそこへ入って行ったので、乾きあがって人気ない湯殿の内部は大層寂しく私た・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・縁側から油障子のはまった水口が見え、その障子が開いていると、裏の生垣、その彼方の往来、そのまた先の×伯爵の邸の樫の幹まで三四本は見られる。 * お祖母さんの家はそのような家なのであった。二階があった。そこに叔・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 湯殿から水口から、どこの隅までもゆうべ鍵をかけた通りに釘がささり、棧が下りて、鼠のくぐったあとさえもない。 それに足跡もなければ、どの部屋にも紛失物がないので、何が何だか分らない様な心持になって仕舞った。私の部屋の彼那ぼろ雨戸でさ・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・ 何だか彼んだか訳の分らない事を二色の金切声が叫びながら、ドッタンバッタンと云うすさまじさなので、水口で何かして居た女中達は皆足音をしのばせて垣根の隙――生垣だから不要心な位隙だらけになって居る――からのぞくと、これはこれはまあ何と云う・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・ 引きちぎったり踏み躪ったりした藁束を、憎さがあまって我ながら、どうしていいのか分らないように足蹴にしながら、水口まで来ると、お石は上り框に突伏してオイオイ、オイオイと手放しで号泣した。怨んだとて、呪ったとて、海老屋の年寄にはどうせかな・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・お汁の中の餅をありったけ食べつくしてから甚五郎は水口から井戸までの細道をつけ一通りぐるりを見廻ってから、手拭をもらって帰った。 それから後、引きつづき引きつづき有象無象が「悪いお天気でやんすない、お見舞に上りやしただ。と云って来た。・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・と云い乍ら、顔をかえて水口から入って来た時、自分は、ぎょっとした。 彼女の息子二人は、結核で死んで居る。又、今度も! と云う感じが、忽ち矢のように心を走ったのである。 生きるか死ぬか、母娘諸共と云うような場合、此方の困ることを云・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・すると、女房が遽しく水口から覗いて、「ちょいと! お前さん」と変に熱心なおいでおいでをした。石川は、なお尻尾を振って彼の囲りを跳び廻る犬を、「こらこら、さあもう行った、行った」とあしらいながら、何気なく表の土間に入った。上り・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・自分の家の物干だあもの、洗濯物の金盥を持って、水口から登ろうと、二階から出ようと誰に苦情を云われる義理はない訳ではないか。五月蠅がって出るのは彼方の勝手だ。――決心に満足を感じ、せきは誰憚るところない大欠伸を一つし、徐ろに寝床へ這い込んだ。・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫