・・・ほら、八幡前に永井って本屋があるでしょう? あすこの女の子が轢かれる所だったんです。」「その子供は助かったんだね?」「ええ、あすこに泣いているのがそうです。」「あすこ」というのは踏切りの向う側にいる人だかりだった。なるほど、そこ・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・水泳協会に通ったのは作家の中では僕ばかりではない。永井荷風氏や谷崎潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会も芦の茂った中洲から安田の屋敷前へ移っていた。僕はそこへ二、三人の同級の友達と通って行った。清水昌彦もその一人だった。・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・部屋は根津界隈を見晴らす二階、永井荷風氏の日和下駄に書かれたると同じ部屋にあらずやと思う。その頃の先生は面の色日に焼け、如何にも軍人らしき心地したれど、謹厳などと云う堅苦しさは覚えず。英雄崇拝の念に充ち満ちたる我等には、快活なる先生とのみ思・・・ 芥川竜之介 「森先生」
・・・ それと同じでんで、大阪を書くということは、例えば永井荷風や久保田万太郎が東京を愛して東京を書いているように、大阪の情緒を香りの高い珈琲を味うごとく味いながら、ありし日の青春を刺戟する点に、たのしみも喜びもあるのだ。かつて私はそうして来・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・は永井龍男氏の世話で「文学界」にのり、五作目の「夫婦善哉」が文芸推薦になった。 こんなことなれば、もっと早く小説を書いて置けばよかったと、現金に考えた。八年も劇を勉強して純粋戯曲論などに凝っている間に、小説を勉強して置けばよかったと、私・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・ 右の踏みならされた細道を進んでいる永井がその時、低声に云った。ロシアの女を引っかけるのに特別な手腕を持っている永井の声はいくらか笑を含んでいた。 栗本は、永井が銃をさし出した方を見た。 靄に蔽われて、丘の斜面に木造の農家が二軒・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・コールド・ウォー 田島は、しかし、永井キヌ子に投じた資本が、惜しくてならぬ。こんな、割の合わぬ商売をした事が無い。何とかして、彼女を利用し活用し、モトをとらなければ、ウソだ。しかし、あの怪力、あの大食い、あの強慾。 あ・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・きのう永井荷風という日本の老大家の小説集を読んでいたら、その中に、「下々の手前達が兎や角と御政事向の事を取沙汰致すわけでは御座いませんが、先生、昔から唐土の世には天下太平の兆には綺麗な鳳凰とかいう鳥が舞い下ると申します。然し当節のように・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・浪花ぶし語りみたい仙台平の袴をつけた深水の演説のつぎに、チョッキの胸に金ぐさりをからませた高坂が演壇にでて、永井柳太郎ばりの大アクセントで、彼の十八番である普通選挙のことをしゃべると、ガランとした会場がよけいめだった。演壇のまわりを、組合員・・・ 徳永直 「白い道」
・・・然るにこの度は正宗君が『中央公論』四月号に『永井荷風論』と題する長文を掲載せられた。 わたくしは二家の批評を読んで何事よりもまず感謝の情を禁じ得なかった。これは虚礼の辞ではない。十年前であったなら、さほどまでにうれしいとは思わなかったか・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫