・・・といった坂の曲り角の安汁粉屋の団子を藤村ぐらいに喰えるなぞといって、行くたんびに必ず団子を買って出した。 壱岐殿坂時代の緑雨には紳士風が全でなくなってスッカリ書生風となってしまった。竹馬の友の万年博士は一躍専門学務局長という勅任官に跳上・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・という小さな汁粉屋の横町を曲ったダラダラ坂を登り切った左側の小さな無商売屋造りの格子戸に博文館の看板が掛っていたのを記憶している。小生は朝に晩に其家の前を何度も通行した。此の小さな格子戸の中で日本の出版界の革命が計劃されていたとは誰しも想像・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・十一時近くになって皆なで町へお汁粉をたべに行った。私は彼らのたべるのをただ見ていた。大仏通りの方でF氏と別れて、しめっぽい五月の闇の中を、三人は柔かい芝生を踏みながら帰ってきた。ブランコや遊動円木などのあるところへ出た。「あたし乗ってみよう・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・からとび出して一人で汁粉屋をはじめている家である。客の来ているのは見たことがない。婆さんはいつでも「滝屋」という別のだるま屋の囲爐裡の傍で「角屋」の悪口を言っては、硝子戸越しに街道を通る人に媚を送っている。 その隣りは木地屋である。背の・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・近くまで汁粉屋が借りていたとかで、古い穴のあいた襖、煤けた壁、汚れた障子などが眼につく。炬燵を切ったあたりは畳も焼け焦げて、紙を貼り着けてある。住み荒した跡だ。「まあ、こんなものでしょう」 と先生は高瀬に言って、一緒に奥の方まで見て・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・という小さな汁粉屋があって、そこの御膳汁粉が「十二か月」のより自分にはうまかった。食うという事は知識欲とともに当時の最大の要事であったのである。 父に連れられてはじめて西洋料理というものを食ったのが、今の「天金」の向かい側あたりの洋食店・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・店によるとコーヒーだか紅茶だかよほどよく考えてみないとわからない味のものを飲まされ、また時には汁粉の味のするものを飲まされる事もあった。風月ではドイツ人のピアニストS氏とセリストW氏との不可分な一対がよく同じ時刻に来合わせていた。二人もやは・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ 東京へ出て来て汁粉屋などで食わされた雑煮は馴れないうちは清汁が水っぽくて、自分の頭にへばりついている我家の雑煮とは全く別種の食物としか思われなかったのである。 去年の正月ある人に呼ばれて東京一流の料亭で御馳走になったときに味わった・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・田舎から始めて来た人などに、ここで汁粉かアイス一杯でもふるまうと意外な満足を表せられる事がある。ここの食卓へ座をとって、周囲の人たち、特に婦人の物を食っているさまを見ると一種の愉快な心持ちになって来る。ある人のいうようにあさましいなどという・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・胃の痛むのによく蕎麦や汁粉を食ったりしては、さらに自分に対する不満を増していたように見える。「本日は弟と歌舞伎座に行く事になっていた。――父の病気に対する『愛なき恐れ』、金に対する不安、母の辛苦、不孝のために失われたる親子の愛情、学業に・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
出典:青空文庫