姓氏の一。
えとうじゅん【江藤淳】
[1932〜1999]文芸評論家。東京の生まれ。本名、江頭淳夫 (えがしらあつお) 。保守主義を代表する評論家。昭和51年(1976)芸術院賞受賞。日本文芸家協会理事長などを歴任するが、夫人の死後、病苦により自殺。著作に「漱石とその時代」「小林秀雄」「海は甦える」「妻と私」など。
えとうしんいち【江藤慎一】
[1937〜2008]プロ野球選手・監督。熊本の生まれ。昭和34年(1959)中日に入団。昭和39年(1964)から2年連続で首位打者を獲得。ロッテ移籍後の昭和46年(1971)にも首位打者となり、プロ野球初の、セ・パ両リーグで首位打者を獲得した選手となる。大洋(横浜DeNAの前身)を経て、昭和50年(1975)には太平洋クラブ(西武の前身)で選手兼任監督として活躍した。通算2057安打。
えとうしんぺい【江藤新平】
[1834〜1874]幕末・明治初期の政治家。佐賀の人。名は胤雄。佐賀藩を脱藩して尊王攘夷運動に参加。明治維新後、司法卿として司法制度の確立に尽力。のち参議となり、征韓論を唱える西郷隆盛に同調したが敗れて下野。民撰議院設立建白書に署名。佐賀の乱を起こし、敗れて刑死した。
出典:gooニュース
R―指定の妻、江藤菜摘が0歳・第1子との親子ショットを公開!「一緒に遊んでたらこてんって寝てた」
3月7日に江藤がインスタグラムで第1子妊娠を報告していた。
江藤新平 活躍の背景は 没後150年記念しシンポ 専門家4人が解説
大園さんは、佐賀藩と10代藩主・鍋島直正の存在があったからこそ、江藤は近代的な裁判制度導入など多くの功績を残すことができたと指摘。「明治6年には、江藤をはじめ佐賀出身者が参議の多くを占めた。直正公や佐賀藩の影響力が大きかった」と述べた。 江藤の生い立ちに触れた川副さんは「江藤や大木喬任、大隈重信は、母の大きな愛情が共通点として背景にある」と分析した。
会長補佐役 新設を提案 江藤氏、県議と意見交換 自民県連
複数の関係者によると江藤氏は、裏金問題などを受け厳しい戦いが想定される次期衆院選もにらみ、会長を代行・補佐する役職の新設といった私案を示したという。
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