こうのあつし【河野安通志】
[1884〜1946]野球選手・監督。石川の生まれ。早大の投手として活躍したのち、押川清 (おしかわきよし) らとともに日本初のプロ野球チーム、日本運動協会を創設するなどプロ野球の発展に尽力。名古屋軍(中日の前身)・イーグルスの総監督を務めた。
こうのいちろう【河野一郎】
[1898〜1965]政治家。神奈川の生まれ。新聞記者を経て政友会の代議士となり、第二次大戦後、自由党結成に参加。農林・建設・国務の各大臣を歴任し、日ソ国交回復にも尽力。自由民主党の党人派実力者。
こうのたえこ【河野多恵子】
[1926〜2015]小説家。大阪の生まれ。本姓、市川。「蟹 (かに) 」で芥川賞受賞。他に「一年の牧歌」「みいら採り猟奇譚」「後日の話」「半所有者」など。評論に「谷崎文学と肯定の欲望」がある。芸術院会員。平成14年(2002)文化功労者、平成26年(2014)文化勲章受章。
こうのてんせい【河野典生】
[1935〜2012]小説家。高知の生まれ。本名、典生 (のりお) 。ミステリー・ハードボイルド・SFファンタジー・ジャズ小説など、幅広く活躍。「殺意という名の家畜」で日本推理作家協会賞受賞。他に「街の博物誌」「アガサ・クリスティ殺人事件」など。
こうのとがま【河野敏鎌】
[1844〜1895]政治家。土佐藩出身。尊王攘夷派として活躍。明治15年(1882)立憲改進党を結成し副総理となったが、のち脱党。農商務・司法・内務・文部の各大臣を歴任。
こうのひろなか【河野広中】
[1849〜1923]政治家。三春 (みはる) 藩出身。自由民権運動を指導、福島事件で投獄された。のち衆議院議長・農商務相を歴任。
こうのみちあり【河野通有】
鎌倉後期の武将。伊予の人。弘安の役に伊予水軍を率いて軍功をあげ、肥前・肥後などに恩賞の地を得た。生没年未詳。
こうのは【河野派】
自由民主党にあった派閥の一。春秋会の通称。昭和31年(1956)に河野一郎らが結成。のちの中曽根派につながる。 自由民主党にあった派閥の一。大勇会の通称。平成11年(1999)に河野一郎の子、洋平が宏池 (こうち) 会から独立して旗揚げした。河野グループ。→麻生派