・・・その前には見事な葡萄棚があり、葡萄棚の下には石を畳んだ、一丈ばかりの泉水がある。僕はその池のほとりへ来た時、水の中の金魚が月の光に、はっきり数えられたのも覚えている。池の左右に植わっているのは、二株とも垂糸檜に違いない。それからまた墻に寄せ・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・ アンナ・ステンのナナが酒場でうるさく付きまとう酔っぱらいの青年士官を泉水に突き落とす場面にもやはり一種の俳諧がある。劇場での初演の歌の歌い方と顔の表情とに序破急があってちゃんとまとまっている。そのほかにはたいしておもしろいと思うところ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
私は自分の住み家の庭としてはむしろ何もない広い芝生を愛する。われわれ階級の生活に許される程度のわずかな面積を泉水や植え込みや石燈籠などでわざわざ狭くしてしまって、逍遙の自由を束縛したり、たださえ不足がちな空の光の供給を制限・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・ 邸後の森からは、小川が一度邸内の泉水を潜って、前の田へと灑がれていた。 消防組の赤い半纒を着た人たちや、青年会の連中が邸内のあちこちに眠そうな手で蚊を叩いていた。 本田家の当主は、家族の者と主治医とに守られて、陶製のもののよう・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ それは空気の中に何かしらそらぞらしい硝子の分子のようなものが浮んできたのでもわかりましたが第一東の九つの小さな青い星で囲まれたそらの泉水のようなものが大へん光が弱くなりそこの空は早くも鋼青から天河石の板に変っていたことから実にあきらか・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤の上に、一一の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。「この地図はどこで買ったの。・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・植込みや泉水のある庭のあちこちを動いたり、その庭に向っている縁側を男や女の小人が考えたり、話したりして、彼らの人生をまじめにいそしんでいる姿が、宇野浩二一流の描写力で哀れにもユーモアにみちて描かれていた。「文学者御前会議」は、宇野浩二の・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 加之、そこには昔ながらの建物に相応しい藤棚があり、庭があり、泉水がありました。全体として、狭いながらも、それはチャンと整った一区画を示しているものでした。総てに懐しい昔の錆が現われて、石に生えてる苔までが、私をチャームするのです。此処・・・ 宮本百合子 「「奈良」に遊びて」
・・・そこは十四畳ばかりの座敷で、南側は古風に刈り込んだ松の木があったり、雪見燈籠があったり、泉水があったりする庭を見晴している。この座敷にもう二十人以上の客が詰め掛けている。やはり船宿や舟の中と同じ様に、余り話ははずんでいない。どの顔を見ても、・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・灸は庭の飛び石の上を渡って泉水の鯉を見にいった。鯉は静に藻の中に隠れていた。灸はちょっと指先を水の中へつけてみた。灸の眉毛には細かい雨が溜り出した。「灸ちゃん。雨がかかるじゃないの。灸ちゃん。雨がよう。」と姉がいった。 二度目に灸が・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫