・・・ あいつは泥棒だ! 大詐偽師だ! それよりもお前、ここへ来て俺の体を抑えていてくれ。」 彼等は互に抱き合ったなり、じっと長椅子に坐っていた。北京を蔽った黄塵はいよいよ烈しさを加えるのであろう。今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしな・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・この陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見・・・ 芥川竜之介 「蜘蛛の糸」
・・・君はデカルトが船の中で泥棒に遇った話を知っているかと、自分でも訳のわからない事をえらそうにしゃべったら、そんな事は知らないさと、あべこべに軽蔑された。大方僕が熱に浮かされているとでも思ったのだろう。このあとで僕の写真を見せたら、一体君の顔は・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・いまいましい、腕づくでもぎ取ってくれようとすると「オオ神様泥棒が」って、殉教者の様な真似をしやあがる。擦った揉んだの最中に巡的だ、四角四面な面あしやがって「貴様は何んだ」と放言くから「虫」だと言ってくれたのよ。 え、どうだ、すると貴様は・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・学校に行ったらみんなが遠くの方から僕を見て「見ろ泥棒のうそつきの日本人が来た」とでも悪口をいうだろうと思っていたのにこんな風にされると気味が悪い程でした。 二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックしない前に、戸を開けて下さいました。・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・「もう、二度とこんな家へ来やせんぞ」と、青木は投げられた物を手に取り、吉弥をにらんで帰って行った。「泥棒じじい!」 吉弥は片足を一歩踏み出すと同時に、あごをもよほど憎らしそうに突き出して、くやしがった。その様子が大変おかしかった・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・また、方々へ泥棒にはいったのも、おまえにちがいない。」と、彼らは口々にののしりました。 このとき、子供は、なんといって弁解をしても、彼らはききいれませんでした。そして、つづけざまにに子供をなぐりつけました。これを見た若者は、あまりのこと・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・凩が吹いて、人が殺された。泥棒の噂や火事が起こった。短い日に戸をたてる信子は舞いこむ木の葉にも慴えるのだった。 ある朝トタン屋根に足跡が印されてあった。 行一も水道や瓦斯のない不便さに身重の妻を痛ましく思っていた矢先で、市内に家を捜・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・「何だと親を捕えて泥棒呼わりは聞き捨てになりませんぞ」と来るところを取って押え、片頬に笑味を見せて、「これは異なこと! 親子の縁は切れてる筈でしょう。イヤお持帰りになりませんならそれで可う御座います、右の次第を届け出るばかりですから・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・だからお前さんさえ開閉を厳重に仕ておくれなら先ア安心だが、お前さんも知ってるだろう此里はコソコソ泥棒や屑屋の悪い奴が漂行するから油断も間際もなりや仕ない。そら近頃出来たパン屋の隣に河井様て軍人さんがあるだろう。彼家じゃア二三日前に買立の銅の・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
出典:青空文庫