・・・ 鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、「おお、幸、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のま・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・三昼夜麻畑の中に蟄伏して、一たびその身に会せんため、一粒の飯をだに口にせで、かえりて湿虫の餌となれる、意中の人の窮苦には、泰山といえども動かで止むべき、お通は転倒したるなり。「そんなに解っているのなら、ちょっとの間、大眼に見ておくれ。」・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・と看板を書いてくれた。泰山前に頽るるともビクともしない大西郷どんさえも評判に釣込まれてワザワザ見物に来て、大に感服して「万国一覧」という大字の扁額を揮ってくれた。こういう大官や名家の折紙が附いたので益々人気を湧かして、浅草の西洋覗眼鏡を見な・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・れよりも自分がかろうじてそれを言うことができても、じっくりとした母親の平常の態度でそれを考えられたり、またその使いを頼まれた人間がその使いを行き渋ったりするときのことを考えると、実際それは吉田にとって泰山を動かすような空想になってしまうのだ・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・百年を十で割り、十年を百で割って、剰すところの半時に百年の苦楽を乗じたらやはり百年の生を享けたと同じ事じゃ。泰山もカメラの裏に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情けを、分と縮め、懸命の甘きを点と凝らし得るなら――然しそれが普通の人に出来・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫