・・・ ここで思う。その児、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続ぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。 泰西の諸国にて、その公園に群る雀は、パンに馴れて、人の掌に・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・が、その編纂した泰西名詩訳集は私の若い頃何べんも繰りかえしてよんだ書物であった。 春月と同年の生れで春月より三年早く死んだ芥川龍之介は、、私くらいの年恰好の者には文学の上でも年齢の上でもはるかに高いところにあると思われていた。今でもその・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・主意は泰西の理学とシナの道徳と並び行なうべからざるの理を述ぶるにあり。文辞活動。比喩艶絶。これを一読するに、温乎として春風のごとく、これを再読するに、凜乎として秋霜のごとし。ここにおいて、余初めて君また文壇の人たるを知る。 今この夏、ま・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・一つにはこの泰西科学の進歩がもたらした驚異の実験が、私の子供の時から芽を出しかけていた科学一般に対する愛着の心に強い衝動を与えたためであろうが、そのほかにまだ何かしらある啓示を与えたものがあるためではないかと思っている。私は今でも事にふれて・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・国民には普通であるのに他の国民には容易に了解ができないのもその根元は直接感覚によるのと、感覚を離れた観念によるとの差と考える事もできるので、少なくもこの点だけにおいては未開人種や子供の描く観念的な絵は泰西名匠の絵画よりもある意味で科学的であ・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・希臘羅馬以降泰西の文学は如何ほど熾であったにしても、いまだ一人として我が俳諧師其角、一茶の如くに、放屁や小便や野糞までも詩化するほどの大胆を敢てするものはなかったようである。日常の会話にも下がかった事を軽い可笑味として取扱い得るのは日本文明・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ かくのごとき態度は全く俳句から脱化して来たものである。泰西の潮流に漂うて、横浜へ到着した輸入品ではない。浅薄なる余の知る限りにおいては西洋の傑作として世にうたわるるもののうちにこの態度で文をやったものは見当らぬ。オーステンの作物、ガス・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・、祖父は明治八年に「泰西史鑑」というものを独・物的爾著から重訳して出している。 いずれも当時の進歩的学者であったし、年輩も既に四十歳を越した人々がそれだけ心を合わせて兎に角一つの啓蒙雑誌を発刊したところ、何とも云えぬ明治というものの若々・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 並べて見ているだけでよろこばしい亢奮を覚えるというような工合で、国民文庫刊行会で出版した泰西名著文庫をよみ、同じ第二回の分でジャン・クリストフなども読んだ。手のひらと眼玉がそれらの本に吸いつくという感じで、全心を傾倒した。 五十銭・・・ 宮本百合子 「祖父の書斎」
出典:青空文庫