・・・ また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学にても学問に志して、今日国の用をなす者は、たいがい皆私費をもって私塾に入り、人民の学制によって成業したる者多し。今日においても官学校の生徒と私学校の生・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・けだし我が輩の所見にて、開知・修身の道は、洋学によらざれば、他に求むべき方便を知らず。歴史を読みて、その実証を見るべし。世の士君子、もしこの順席を錯て、他に治国の法を求めなば、時日を経るにしたがい、意外の故障を生じ、不得止して悪政を施すの場・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・もしもこの際に流行の洋学者か、または有力なる勤王家が、藩政を攪擾することあらば、とても今日の旧中津藩は見るべからざるなり。今その然らざるは、これを偶然の幸福、因循の賜というべし。 中津藩はすでにこの偶然の僥倖に由て維新の際に諸藩普通の禍・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・日本国中の人、商工農士の差別なく、洋学に志あらん者は来り学ぶべし。一、入社の式は金三両を払うべし。一、受教の費は毎月金二分ずつ払うべし。一、盆と暮と金千匹ずつ納むべし。ただし金を納むるに、水引のしを用ゆべからず。・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
今ここに会社を立てて義塾を創め、同志諸子、相ともに講究切磋し、もって洋学に従事するや、事、もと私にあらず、広くこれを世に公にし、士民を問わずいやしくも志あるものをして来学せしめんを欲するなり。 そもそも洋学のよって興り・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・ 儒者にかぎらず、洋学者流も、この辺の事情については、はなはだ粗漏迂闊の罪をまぬかれ難し。小学の教則に、さまざま高上なる課目をのせ、技芸も頂上に達して、画学、音楽、唱歌、体操等を教授せんとする者あるが如し。田舎の百姓の子に体操とは何事ぞ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・曾て或る洋学者が妻を娶り、其妻も少し許り英語を解して夫婦睦じく家に居り、一人の老母あれども何事も相談せざるのみか知らせもせずに、夫婦の専断に任せて、母は有れども無きが如し。或るとき家の諸道具を片付けて持出すゆえ、母が之を見て其次第を嫁に尋ぬ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ そもそも余は旧中津藩の士族にして、少小の時より藩士同様に漢書を学び、年二十歳ばかりにして始めて洋学に志したるは、今を去ることおよそ三十余年前なり。この時に洋書を読みはじめたるは、何の目的をもってしたるか、今において自から解すること能わ・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・このごろ世間に、皇学・漢学・洋学などいい、おのおの自家の学流を立て、たがいに相誹謗するよし。もってのほかの事なり。学問とはただ紙に記したる字を読むことにて、あまりむつかしき事にあらず。学流得失の論は、まず字を知りて後の沙汰なれば、あらかじめ・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・し、殊に三都の如きはその最も甚だしきものにして、儒者文人の叢淵即ち不品行家の巣窟とも名づくべき悪風を成し、遂に徳川を終わりて明治の新世界に変じたれども、いわゆる洒落放胆の気風は今なお存して止まず、かの洋学者流の如き、その学ぶ所の事柄は全く儒・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫