・・・書物も和書の本箱のほかに、洋書の書棚も並べてある。おまけに華奢な机の側には、三味線も時々は出してあるんだ。その上そこにいる若槻自身も、どこか当世の浮世絵じみた、通人らしいなりをしている。昨日も妙な着物を着ているから、それは何だねと訊いて見る・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 和本は、虫がつき易いからというけれど、この頃の洋書風のものでも、十年も書架に晒らせば、紙の色が変り、装釘の色も褪せて、しかも和本に於けるように雅致の生ずることもなく、その見すぼらしさはないのであります。 これから見ても、和本は、出・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・ と言って先生が書架から取出したのは、古い皮表紙の小形の洋書だ。先生は鼻眼鏡を隆い鼻のところに宛行って、過ぎ去った自分の生活の香気を嗅ぐようにその古い洋書を繰りひろげて見て、それから高瀬にくれた。 正木大尉は幹事室の方に見えた。先生・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・小生、日本人ノウチデ、宗教家トシテハ内村鑑三氏、芸術家トシテハ岡倉天心氏、教育家トシテハ井上哲次郎氏、以上三氏ノ他ノ文章ハ、文章ニ似テ文章ニアラザルモノトシテ、モッパラ洋書ニ親シミツツアルモ、最近、貴殿ノ文章発見シ、世界ニ類ナキ銀鱗躍動、マ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・机の上には、大形の何やら横文字の洋書が、ひろげられていたのであるが、佐伯はそれには一瞥もくれなかった。「里見八犬伝か。面白そうだね。」と呟き、つっ立ったまま、その小さい文庫本のペエジをぱらぱら繰ってみて、「君は、いつでも読まない本を机の上に・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ろくに読めもしない洋書なんかを買い込んで、ただページを切って、それだけでお得意、たいへんなお道楽だ。」美濃は寝たままで思いきり大袈裟に背伸びした。「いいえ、」女は上半身を起し、髪を掻きあげて、「奥様は、ご立派なお方です。あたし、親兄弟の・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ 客間兼帯の書斎は六畳で、ガラスの嵌まった小さい西洋書箱が西の壁につけて置かれてあって、栗の木の机がそれと反対の側に据えられてある。床の間には春蘭の鉢が置かれて、幅物は偽物の文晃の山水だ。春の日が室の中までさし込むので、実に暖かい、気持・・・ 田山花袋 「少女病」
子供の時分から「丸善」という名前は一種特別な余韻をもって自分の耳に響いたものである。田舎の小都会の小さな書店には気のきいた洋書などはもとよりなかった、何か少し特別な書物でもほしいと言うと番頭はさっそく丸善へ注文してやります・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・唖々子は二子と共に同行を約したが、その時のわたしには新刊の洋書より外には見たいものはなかったので辞して行かなかった。後三年を経ずして、わたしが少しく古文書について知らん事を欲した時、古書に精通した島田はそのために身を誤り既にこの世にはいなか・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ 先生の容貌が永久にみずみずしているように見えるのに引き易えて、先生の書斎は耄け切った色で包まれていた。洋書というものは唐本や和書よりも装飾的な背皮に学問と芸術の派出やかさを偲ばせるのが常であるのに、この部屋は余の眼を射る何物をも蔵して・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
出典:青空文庫