・・・月明りの仄めいた洛陽の廃都に、李太白の詩の一行さえ知らぬ無数の蟻の群を憐んだことを! しかしショオペンハウエルは、――まあ、哲学はやめにし給え。我我は兎に角あそこへ来た蟻と大差のないことだけは確かである。もしそれだけでも確かだとすれば、・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
一 或春の日暮です。 唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。 若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・十一月一日に六郎左衛門が家のうしろの家より、塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に、一間四面なる堂の仏もなし。上は板間合はず、四壁はあばらに、雪降り積りて消ゆる事なし。かゝる所に敷皮うちしき、蓑うちきて夜を明かし、日を暮・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・これをあの実に不愉快にして愚劣なる「洛陽餓ゆ」のごときものに比べるとそれはいかなる意味においても比較にならぬほどよい。「スピード・アップ・ホー」の合唱のごときはなはだばかげていてノンセンスではあるが、そのノンセンスの中にはおのずからノンセン・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・を翻訳し、洛陽堂から出版。 一九一七年。舞台協会の監督となって武者小路の「その妹」を演出する。この年結婚したが間もなく合意の上離婚。山岸博士の推薦によって早稲田大学の講師となる。 一九一八年。記すべきほどのことなし。ただかなり真面目・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・天宝以来西の京の長安には太清宮があり、東の京の洛陽には太微宮があった。その外都会ごとに紫極宮があって、どこでも日を定めて厳かな祭が行われるのであった。長安には太清宮の下に許多の楼観がある。道教に観があるのは、仏教に寺があるのと同じ事で、寺に・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・徐州。洛陽。(ここで彼は東洋人になる。東京の裏街で昔の江戸の匂いを嗅これらの郷土の風景と住民と芸術との一切が、ここにはあたかも交響楽に取り入れられた数知れぬ音のようにおのおのその所を得、おのおのその微妙な響きを立てているのである。 木下・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・それを思うと、麦積山が、タリム盆地の文化圏に非常に近かったとも言えないのであるが、しかしタリム盆地で発達した芸術や宗教がシナの本部の方へ入り込んで来る際に、敦煌から蘭州を経て長安や洛陽の古い文化圏に来たことは確かであろうし、蘭州と長安との中・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫