・・・ぼんやり格子に額を押しつけて、雨水に浮く柿の花を見ている。いつまでも雨が降り、いつまでも沢山の壺のような柿の花が漂っているから、子供達もいつまでもそれを見ている。風がパラパラパラと雨を葉に散らす。浅い池のような水の面に一つ、二つ、あとつづけ・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・悲しさなめげなる北風に裾吹かせつゝ 野路をあゆめば都恋しやらちもなく風情もなくてはゞびろに 横たはれるも村道なれば三春富士紅色に暮れ行けば 裾の村々紫に浮く昼も夜も風の音のみ我心を・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ 濃碧の湖には笑を乗せて軽舸が浮く。街道の古い並木の下では赤い小猿が、手提琴の囃子につれて、日は終日帽子を振る。銀灰色の猫の児は今日も私のポーチで居睡っているだろう。 周囲は陽気で健康で、美しい。けれども今日は心が淋しい。重い苦しい・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・ 私がまだねんねえで世間知らずの愚者でござった頃にはこの様な晩に出会う毎に寝間着のままで床にひざまずいて、僧正様のお祈りよりもそっと長い文句をくり返しくり返し血迷うた様に繰返してわけもない涙を身の浮くほど流いてのう貴方様、長い一夜をまん・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・木の葉 サラサラ水はチラチラ夏の日にホッカリと浮く小さい御舟御舟に乗ったはどなた様小さい 可愛い 寿江子ちゃま――。 寿江子ちゃまは我が妹の名である。・・・ 宮本百合子 「無題(一)」
・・・そうしてこの歯の浮くような偶像破壊が、結局、その誤謬をもって予を導いたのであった。――予は病理的に昂進した欲望をもって破壊に従事した。行き過ぎた破壊は予を虚無の淵にまで連れて行った。偶像破壊者の持つ昂揚した気分は、漸次予の心から消え去った。・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫