・・・汽車は江に沿うてヴェスヴィオのふもとを走って行った、ふもとから見上げると海上から見たほど高くは見えなかった。熔岩が海中へ流れ込んだ跡も通って行った。シャボテンやみかんのような木も見られた。粗末な泥土塗りの田舎家もイタリアと思えばおもしろかっ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 台風の襲来を未然に予知し、その進路とその勢力の消長とを今よりもより確実に予測するためには、どうしても太平洋上ならびに日本海上に若干の観測地点を必要とし、その上にまた大陸方面からオホツク海方面までも観測網を広げる必要があるように思われる・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ たとえば海陸軍においても、軍艦に乗りて海上に戦い、馬に跨て兵隊を指揮するは、真に軍人の事にして、身みずから軍法に明らかにして実地の経験ある者に非ざれば、この任に堪えず。されども海陸軍、必ずしも軍人のみをもって支配すべからず。軍律の裁判・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・芝浦から日覆いをかけた発動和船。海上にポツリと浮いたお台場、青草、太陽に照っている休息所の小さなテント。此方ではカフェー・パリスと赤旗がひらひらしている。市民の遊覧、ルウソーの絵の感じであった。陽気で愛らし。 溺死人の黒い頭、肩。人間の・・・ 宮本百合子 「狐の姐さん」
・・・それとも穢れをきらうというようなことに関してのしきたりで、女は海上に働かないことになっているのだろうか。男と女とがうちまじって一つ船にのって働いて、もし時化で漂流でもした場合におこって来る複雑な問題も考えて、さけられているというわけなのだろ・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
・・・ 婦人画家 茶の間で、壁のところへ一枚の油絵をよせかけて、火鉢のところからそれを眺めながら、画中のドックに入っている船と後方の丘との距離が明瞭でないとか、遠くの海上の島がもう一寸物足りないとか素人評をやっている・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・虹ヶ浜へは去年のお正月行って海上の島の美しい景色を眺めました。でも大変風がきつかった。そして、さむくあった。 黒海は実に目醒めるばかり碧紺の海の色だのに、潮の匂いというものはちっともしないので、私は、あらこの海、香いのない花! と云った・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・鼻眼鏡をつけ顎に髯のあるチェホフが、独身暮しの医者が、双眼鏡をとって海上の艦隊を眺める。 町では小歌劇、蚤の見世物。クニッペルがひらひらのついた流行型のパラソルをさしてそれを女優らしく笑いながら観ている。チェホフは黒い服だ。書斎は今ラン・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・佇んでこれ等の遠望を恣にして居るうちに、私は不図、海路平安とだけ刻まれた四字の間から、海上はるかに思をやった明末の帰化人の無言の郷愁を犇と我心にも感じたように思った。 第四日 運のわるいこと。今日は雲の切れめこ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・海路平安という文字を刻された慈海燈は、唐船入津の時、或は毎夜、一点の光明を暗い夜の海に向って投げかけた。海上から、人の世の温情を感じつつその瞬きを眺めた心持、また、秋宵この胸欄に倚って、夜を貫く一道の光の末に、或は生還を期し難い故山の風物と・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫