・・・大般涅槃の御時にさえ、摩訶伽葉は笑ったではないか?」 その時はわたしもいつのまにか、頬の上に涙が乾いていました。すると御主人は簾越しに、遠い星空を御覧になりながら、「お前が都へ帰ったら、姫にも歎きをするよりは、笑う事を学べと云ってく・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・生死即涅槃と云い、煩悩即菩提と云うは、悉く己が身の仏性を観ずると云う意じゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来、煩悩業苦の三道は、法身般若外脱の三徳、娑婆世界は常寂光土にひとしい。道命は無戒の比丘じゃが、既に三観三諦即一心の醍醐味を味得した。よ・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・ こいつを、フッフッと吹きながら、すぺりと古道具屋の天窓を撫でるかと思うと、次へ飛んで、あの涅槃に入ったような、風除葛籠をぐらぐら揺ぶる。 八 その時きゃっきゃっと高笑、靴をぱかぱかと傍へ外れて、どの店と見当・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・及び「不断煩悩得涅槃」の両聯も、訪客に異様な眼をらした小さな板碑や五輪の塔が苔蒸してる小さな笹藪も、小庭を前にした椿岳旧棲の四畳半の画房も皆焦土となってしまった。この画房は椿岳の亡い後は寒月が禅を談じ俳諧に遊び泥画を描き人形を捻る工房となっ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかるに涅槃経によれば、依テ二了義経ニ一不レレ依ラ二不了義経ニ一とある。 それ故に仏の遺言を信じるならば、専ら法華経を明鏡として、一切経の心を知るべきである。したがって法華経の文を開き奉れば、「此法華経ハ於テ二諸経ノ中ニ一最モ在リ二其上・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・「生死即涅槃」といって、これが大涅槃である。涅槃に達しても、男子は男子であり、女子は女子である。女性はあくまで女性としての天真爛漫であって、男性らしくならなければ、中性になるのでもない。女性としての心霊の美しさがくまなく発揮されるのである。・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・もっと一般に言えば宇宙のエントロピーが次第に減少し、世界は平等から差別へ、涅槃から煩悩へとこの世は進展するのである。これは実に驚くべき大事件でなければならない。もっと言葉を変えて言えば、すべての事がらは、現世で確率の大きいと思われるほうから・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・本堂のような所にはアラバスターの仏像や、大きな花崗石を彫って黄金を塗りつけた涅槃像がある。T氏はこれに花を供えて拝していた。 帰途に案内者のハリーがいろいろの人の推薦状を見せて自慢したりした。N氏の英語はうまいがT氏のはノーグードだなど・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・思無邪であり、浩然の気であり、涅槃であり天国である。忙中に閑ある余裕の態度であり、死生の境に立って認識をあやまらない心持ちである。「風雅の誠をせめよ」というは、私を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・これとても最後涅槃経中には今より以後汝等仏弟子の肉を食うことを許されずとされている。その五種浄肉とても前論士の云われた如き余り残忍なる行為によらずしてというごとき簡単なるものではない。仏教中の様々の食制に関する考は他に誰か述べられる予定があ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫