・・・と、今まで泣伏していた間に考えていたものと見えて、心有りたけを澱みなく言立てた。真実はおもてに現われて、うそや飾りで無いことは、其の止途無い涙に知れ、そして此の紛れ込者を何様して捌こうか、と一生懸命真剣になって、男の顔を伺った。目鼻立の・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 私が気乗りのしない生返事をしていたのだが、佐野君はそれにはお構いなしに、かれの見つけて来たという、その、いいひとに就いて澱みなく語った。割に嘘の無い、素直な語りかただったので、私も、おしまいまで、そんなにいらいらせずに聞く事が出来た。・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・清少納言から西鶴を通じて現代へ流れて来ている一つの流れの途中の一つの淀みのようなものに過ぎないかもしれないが、しかし、兼好法師という人の頭がかなりこういう分析にかけて明晰であったこともたしかであろうと思われる。 迷信に関する第九十一段な・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・婆さんの淀みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。 宜しければ上りましょうと婆さんがいう。余はすでに倫敦の塵と音を遥かの下界に残して五重の塔の天辺に独坐するような気分がしているのに耳の元で「上りましょう」という催促を受けた・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・太陽は磨きたての藍銅鉱のそらに液体のようにゆらめいてかかり融けのこりの霧はまぶしく蝋のように谷のあちこちに澱みます。(ああこんなけわしいひどいところを私は渡って来たのだな。けれども何というこの立派 諒安は眼を疑いました。そのいちめん・・・ 宮沢賢治 「マグノリアの木」
・・・ ※ 山山にパラフ※ンの雲が白く澱み、夜が明けました。黄色なダァリヤはびっくりして、叫びました。「まあ、あなたの美しくなったこと。あなたのまはりは桃色の後光よ。」「ほんたうよ。あなたのまはりは虹から・・・ 宮沢賢治 「まなづるとダァリヤ」
・・・ 飲料の貯水池が砲台の奥にあって、撃破されたコンクリートの天井が黒い澱み水の上に墜ちかかっているのが、ランターンのちらつく不安定な灯かげの輪のなかに照らし出されて来る。 グーモンへ着いた時には、落ちかかると早い日が山容を濃く近く見せ・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・その芳ばしさは如何にも八月の高燥な暑さや澱みなき日の光と釣り合って、隈なき落付きというような感情を彼女に抱かせる。 ――そうやっていると、彼方の庭までずっと細長く見徹せるやや薄暗い廊下をお清さんがやって来た。白地の浴衣に襷がけの甲斐甲斐・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 一二秒、立ち澱み、やがておつやさんは、矢絣の後姿を見せながら、しおしお列を離れて、あちらに行った。 彼女は素直に、顔を洗いに行ったのだ。 暫くして、皆席についてしまってから、水で、無理に顔をこすったおつやさんは、赤むけになった・・・ 宮本百合子 「追想」
出典:青空文庫