・・・――自動車は後眺望がよく利きませんな、むこうに山が一ツ浮いていましょう。淡島です。あの島々と、上の鷲頭山に包まれて、この海岸は、これから先、小海、重寺、口野などとなりますと、御覧の通り不穏な駿河湾が、山の根を奥へ奥へと深く入込んでおりますか・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。淡島寒月の向島の旧庵の如きその一つである。今ではその跡にバラック住いをして旧廬の再興を志ざしているが、再興されても先代の椿岳の手沢の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・当時は正岡子規がマダ学生で世間に顔出しせず、紅葉が淡島寒月にかぶれて「稲妻や二尺八寸ソリャこそ抜いた」というような字余りの談林風を吹かして世間を煙に巻いていた時代であった。この時代を離れては緑雨のこの句の興味はないが、月落ち烏啼いての調子は・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・俳諧師には其角堂永機、小説家には饗庭篁村、幸田露伴、好事家には淡島寒月がある。皆一時の名士である。しかし明治四十三年八月初旬の水害以後永くその旧居に留ったものは幸田淡島其角堂の三家のみで、その他はこれより先既に世を去ったものが多かった。堤上・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・そこで宿屋の主人の世話で、九郎右衛門は按摩になり、文吉は淡島の神主になった。按摩になったのは、柔術の心得があるから、按摩の出来ぬ筈はないと云うのであった。淡島の神主と云うのは、神社で神に仕えるものではない。胸に小さい宮を懸けて、それに紅で縫・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫