・・・当時の政客で○○○議長もしたことのあるK氏の夫人とその同伴者が波打際に坐り込んで砂浜を這上がる波頭に浴しているうちに大きな浪が来て、その引返す強い流れに引きずり落され急斜面の深みに陥って溺死した。名士の家族であっただけにそのニュースは郷里の・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・という事が非常にうまく行われているので、そこに名状の出来ぬ深みが生じ「内容」が出来ているのである。津田君の絵がまさにそうである。非常に不器用な子供の描いたようなところがあると思うとまた非常に巧妙な鋭利なところがある。不細工な粗放な線が出てい・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ おひろは痩せた小さい体の割りには、声がりんりんして深みがあった。それに後で気のついたことだが、四人の姉妹のうち一番頭脳のいいのもこの子であった。 道太の食物が運ばれた時分には、おひろは店の間へ出て、独り隅の方で、トランプの数合せに・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ルの小道具よろしく、女子大学出身の細君が鼠色になったパクパクな足袋をはいて、夫の不品行を責め罵るなぞはちょっと輸入的ノラらしくて面白いかも知れぬが、しかし見た処の外観からして如何にも真底からノラらしい深みと強みを見せようというには、やはり髪・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・夕陽は堤防の上下一面の枯草や枯蘆の深みへ差込み、いささかなる溜水の所在をも明に照し出すのみか、橋をわたる車と人と欄干の影とを、橋板の面に描き出す。風は沈静して、高い枯草の間から小禽の群が鋭い声を放ちながら、礫を打つようにぱっと散っては消える・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・春寒の夜を深み、加茂川の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。 桓武天皇の御宇に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
一、実に心を打れた驚き、同時に畏ろしい厳粛な心持。人生の深みを、はっと見た心。二、私は、世の中に起ったああ云うことに対しての所謂世間の批評を、そう一々注意して居りません。〔一九二三年九月〕・・・ 宮本百合子 「有島氏の死を知って」
・・・ どうぞして、深みに動く人間になり度いものです。 宮本百合子 「動かされないと云う事」
・・・はコンスタン・ベネット、シモーヌ・シモン、ロレッタ・ヤング、ジャネット・ゲイナーという四女優を集めてこれらの女優の特色で興味をひこうとしたものであったろうが、案外に深みも味も、特長さえ大して活かされていなかった。 日本の映画では、以上の・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・男女のぬかるみにつっこまれて生きて来たマリアが、人間と人間との間にあり得る愛というものを知って、その信頼から湧く歓喜の深みへ、わが心と身とをなげ入れて生きるようになった、その純一さが、彼女についての物語に、いつも新鮮な感動を、おぼえさせるの・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
出典:青空文庫