・・・五六丈くらいの滝に打たせて清めたいのです。そうすれば、あなたのようなよい人とも、もっともっとわけへだてなくつき合えるのだし。」「そんなことは気にしなくてよいよ。」 屋賃などあてにしていないことを言おうと思ったが、言えなかった。彼の吸・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・境内は、塵一つとどめず掃き清められていた。「展覧会の招待日みたいだ。きょう来て、いいことをしたね。」「あたし、桜を見ていると、蛙の卵の、あのかたまりを思い出して、――」家内は、無風流である。「それは、いけないね。くるしいだろうね・・・ 太宰治 「春昼」
・・・そのうちにいよいよ今日はという事になって朝のうちに物置の屋根裏から台が取り下ろされ、一年中の塵埃や黴が濡れ雑巾で丁寧に拭い清められ、それから裏庭の日蔭で乾かされる。そしていよいよ夕方になってから中庭に持ち出されると、それで始めて私の家に本当・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・宅では何も知らぬ母がいろいろ涼しいごちそうをこしらえて待っていて、汗だらけの顔を冷水で清め、ちやほやされるのがまた妙に悲しかった。 五 芭蕉の花 晴れ上がって急に暑くなった。朝から手紙を一通書いたばかりで・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・その間に父上は戸棚から三宝をいくつも取下ろして一々布巾で清めておられる。いや随分乱暴な鼠の糞じゃ。つつみ紙もところどころ食い破られた跡がある。ここに黄ばんだしみのあるのも鼠のいたずらじゃないかしらんなど独語を云いながら我も手伝うておおかた三・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・塵埃にくすぶった草木の葉が洗われて美しい濃緑に返るのを見ると自分の脳の濁りも一緒に洗い清められたような心持がする。そしてじめじめする肌の汚れも洗って清浄な心になりたくなるので、手拭をさげて主婦の処へ傘と下駄を出してもらいに行く。主婦はいつも・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・(そは作者の知る処に非とにかく珍々先生は食事の膳につく前には必ず衣紋を正し角帯のゆるみを締直し、縁側に出て手を清めてから、折々窮屈そうに膝を崩す事はあっても、決して胡坐をかいたり毛脛を出したりする事はない。食事の時、仏蘭西人が極って Ser・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・けれどもその人の罪は、その人の描いた物で十分に清められるものだと思う。私は確かにそう信じている。けれどもこれは、世の中に法律とか何とかいうものは要らない、懲役にすることも要らない、そういう意味ではありませんよ。それは能く申しますると、如何に・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・ 日々を、心ならずもいやな事、心を悩ます事の多い中で暮して居るのであるから、どこの廃市にも、満ち満ちて居る自然美になつかしむ心さえあれば、何もことさらの金と時間を費さずとも、霊の洗われ、清められる慰めを得るのであるのに……。 私は殊・・・ 宮本百合子 「雨滴」
・・・肉体と肉体との接触だけで終らず、その奥から生活を清め、高める力の生れる、そういう生活のこもった対象として婦人を見ずにいられなかったゴーリキイは、偶然の機会から彼の旺盛な発展の道の上に現れたオリガに彼の念願の全部を素朴に投げかけたのであった。・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
出典:青空文庫