・・・英国の山川詩人が、故郷の自然を愛したのは、清純な魂によってである。スコットランドの素朴な風景や、居酒屋に集る人々等は、バーンズによって、永久に芸術に生かされている。 北方派の画家等にして、南欧の明るい風光に、一たび浴さんとしないものはな・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・の中でさまざまな人間のいやらしさを書いて来た作者が、あの妹を見てはじめて清純なものに触れたという一種の自嘲だ。が、こんな自嘲はそもそも甘すぎて、小説の結びにはならない。「世相」は書きつづけるつもりだ。「競馬」もあれで完結していない。あのあと・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・細君にそむかれて、その打撃のためにのみ死んでゆく姿こそ、清純の悲しみではないか。けれども、おれは、なんだ。みれんだの、いい子だの、ほとけづらだの、道徳だの、借銭だの、責任だの、お世話になっただの、アンチテエゼだの、歴史的義務だの、肉親だの、・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・けれどもその高慢にして悧※、たとえば五月の青葉の如く、花無き清純のそそたる姿態は、当時のみやび男の一、二のものに、かえって狂おしい迄の魅力を与えた。 アグリパイナは、おのれの仕合せに気がつかないくらいに仕合せであった。兄は、一点非なき賢・・・ 太宰治 「古典風」
・・・いまの女の子たちは、この七夕祭に、決して自分勝手のわがままな祈願をしているのではない。清純な祈りであると思った。私は、なんどもなんども色紙の文字を読みかえした。すぐに立ち去る事は出来なかった。この祈願、かならず織女星にとどくと思った。祈りは・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・私はそんな気持を、みんな抑えて、お辞儀をしたり、笑ったり、話したり、良夫さんを可愛い可愛いと言って頭を撫でてやったり、まるで嘘ついて皆をだましているのだから、今井田御夫婦なんかでも、まだまだ、私よりは清純かも知れない。みなさん私のロココ料理・・・ 太宰治 「女生徒」
昔、明治の初期、若松賤子が訳した「小公子」は、今日も多くの人々に愛読されている。若松賤子がこの翻訳を思い立ったのは、愛する子供たちに、清純で人間の精神をたかめる読みものをおくりものとしたい、という心持からであったことが記さ・・・ 宮本百合子 「子供のためには」
・・・ 十七年振りでアメリカから帰朝した佐藤俊子氏が、十七年留守をしていたということから生じた却って一種の清純さ、若々しさでアメリカにおける日本移民、第二世の生活を「小さき歩み」に進歩的な目で描いたのは興味あることであった。 国際ペンクラ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 閉じこめられたまま清純のまま続いていたジイドの青春は、二十四歳の時、突然その清教徒的規律を破った。彼は在来の周囲に激しい厭悪を感じて友人のロオランとチュニスに旅立った。この船出は、地理上の旅行であるばかりでなく、フランス中産階級の生活・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・その境地は清純であるとともに常に一つの女の内部からだけ主観的にうたわれていることに芸術上の問題をも含んでいるのである。 永瀬清子氏の『諸国の天女』は、私という文字で、一人の女の心をうたっている時でも、そのわたしという響のなかに、何とはな・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
出典:青空文庫