・・・僕はやはり木枕をしたまま、厚い渋紙の表紙をかけた「大久保武蔵鐙」を読んでいました。するとそこへ襖をあけていきなり顔を出したのは下の部屋にいるM子さんです。僕はちょっと狼狽し、莫迦莫迦しいほどちゃんと坐り直しました。「あら、皆さんはいらっ・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・ この明で、白い襟、烏帽子の紐の縹色なのがほのかに見える。渋紙した顔に黒痘痕、塵を飛ばしたようで、尖がった目の光、髪はげ、眉薄く、頬骨の張った、その顔容を見ないでも、夜露ばかり雨のないのに、その高足駄の音で分る、本田摂理と申す、この宮の・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・……まだこの時も、渋紙の暖簾が懸った。 折から人通りが二、三人――中の一人が、彼の前を行過ぎて、フト見返って、またひょいひょいと尻軽に歩行出した時、織次は帽子の庇を下げたが、瞳を屹と、溝の前から、件の小北の店を透かした。 此処にまた・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ましてやその他の月卿雲客、上臈貴嬪らは肥満の松風村雨や、痩身の夷大黒や、渋紙面のベニスの商人や、顔を赤く彩ったドミノの道化役者や、七福神や六歌仙や、神主や坊主や赤ゲットや、思い思いの異装に趣向を凝らして開闢以来の大有頂天を極めた。 この・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・汚れた手拭で頬冠りをして、大人のような藍の細かい縞物の筒袖単衣の裙短なのの汚れかえっているのを着て、細い手脚の渋紙色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしく蹲んでいるのであった。東京者ではない、田舎の此辺の、しかも余り宜い家でない家の児であると・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・ハタキ。渋紙で作った塵取。タン壺。雑巾。 蓋付きの茶碗二個。皿一枚。ワッパ一箇。箸一ぜん。――それだけ入っている食器箱。フキン一枚。土瓶。湯呑茶碗一個。 黒い漆塗の便器。洗面器。清水桶。排水桶。ヒシャク一個。 縁のない畳一枚。玩・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・見たところ元気のいい子で、顔も背中も渋紙のような色をして、そして当時流行っていた卑猥な流行唄を歌いながら丸裸の跣足で浜を走り廻っていた。 同じ宿に三十歳くらいで赤ん坊を一人つれた大阪弁のちょっと小意気な容貌の女がいた。どういう人だかわれ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ キャディが三人、一人はスマートで一人はほがらかな顔をしているがいずれも襟頸の皮膚が渋紙色に見事に染めあげられている。もう一人はなんだか元気がなくて襟頸もあまり焼けていない。どうした訳かと聞いてみるとまだ新米だそうである。まだ新米にさえ・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・わりに大きく長い枯れ枝の片を並べたのが大多数であるが、中にはほとんど目立つほどの枝切れはつけないで、渋紙のような肌をしているのもあった。えにしだの豆のさやをうまくつなぎ合わせているのもあって、これがのそのそはって歩いていた時の滑稽な様子がお・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・八畳ほどの座敷はすっかり渋紙が敷いてあって、押入のない一方の壁には立派な箪笥が順序よく引手のカンを并べ、路地の方へ向いた表の窓際には四、五台の化粧鏡が据えられてあった。折々吹く風がバタリと窓の簾を動すと、その間から狭い路地を隔てて向側の家の・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫