・・・毎日のように渡り鳥は、ほばしらの林のように立った港の空をかすめて、暖かな国のある方へ慕ってゆきました。 爺は破れた帽子をかぶっていました。そして西洋の絵にある年とった牧羊者のように、白いあごひげがのびていました。子供は、やっと十か十一に・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・中でも渡り鳥は、旅の鳥でいろいろの話を知っていました。街の話もしてくれれば、港の話もしてくれました。もっときけばなんでも教えてくれるのであったが、松の木は、自らは経験のないことで、ただ渡り鳥のする話をきいて、世の中の広いということを悟るだけ・・・ 小川未明 「曠野」
・・・女ちょうは昨日から、この野の中に一夜を明かしたのであるが、音のする上を見あげて、渡り鳥にしては小さいと思ったので、「あれは、なんですか。」と、花に向かって、たずねました。「あれですか、ばったの群れが、どこかへ移ってゆくのです。」と、・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・ ある日は庭の隅に接した村の大きな櫟の木へたくさん渡り鳥がやって来ている声がした。「あれはいったい何やろ」 吉田の母親はそれを見つけて硝子障子のところへ出て行きながら、そんな独り言のような吉田に聞かすようなことを言うのだったが、・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・婦人雑誌あたりの切り抜きらしく、四季の渡り鳥という題が印刷されていた。「ねえ。この写真がいいでしょう? これは、渡り鳥が海のうえで深い霧などに襲われたとき方向を見失い光りを慕ってただまっしぐらに飛んだ罰で燈台へぶつかりばたばたと死んだと・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・雁や野鴨の渡り鳥も、この池でその羽を休める。庭園は、ほんとうは二百坪にも足りないひろさなのであるが、見たところ千坪ほどのひろさなのだ。すぐれた造園術のしかけである。われは池畔の熊笹のうえに腰をおろし、背を樫の古木の根株にもたせ、両脚をながな・・・ 太宰治 「逆行」
・・・同じような現象がたとえば軽井沢のような土地に週期的にやって来る渡り鳥のような避暑客の人間の種類についても見られるかどうか。材料が手に入るなら調べてみたいものである。 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・また、日本はその地理的の位置から自然にいろいろな渡り鳥の通路になっているので、これもこの国の季節的景観の多様性に寄与するところがはなはだ多い。雁やつばめの去来は昔の農夫には一種の暦の役目をもつとめたものであろう。 野獣の種類はそれほど豊・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 夏になると徳島からやって来た千金丹売りの呼び声もその一つである。渡り鳥のように四国の脊梁山脈を越えて南海の町々村々をおとずれて来る一隊の青年行商人は、みんな白がすりの着物の尻を端折った脚絆草鞋ばきのかいがいしい姿をしていた。明治初期を・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・かな更衣母なん藤原氏なりけり真しらけのよね一升や鮓のめしおろしおく笈になゐふる夏野かな夕顔や黄に咲いたるもあるべかり夜を寒み小冠者臥したり北枕高燈籠消えなんとするあまたゝび渡り鳥雲のはたての錦かな大高に君しろ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫