・・・ 湯河原。下車。「何もない、ということ、嘘だわ。」Kは宿のどてらに着換えながら、そう言った。「この、どてらの柄は、この青い縞は、こんなに美しいじゃないの?」「ああ、」私は、疲れていた。「さっきの、らっきょうの話?」「・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・六年まえの初秋に、百円持って友人三人を誘って湯河原温泉に遊びに行き、そうして私たち四人は、それぞれ殺し合うほどの喧嘩をしたり、泣いたり、笑って仲直りしたときのことを書くつもりであったのだが、いやになった。なんということも無い、謂わば、れいの・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・信州にひとり、湯河原にひとり、笠井さんの知っている女が、いた。知っている、と言っても、寝たのではない。名前を知っているだけなのである。いずれも宿舎の女中さんである。そうして信州のひとも、伊豆のひとも、つつましく気がきいて、口下手の笠井さんに・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ Confiteor 昨年の暮、いたたまらぬ事が、三つも重なって起り、私は、字義どおり尻に火がついた思いで家を飛び出し、湯河原、箱根をあるきまわり、箱根の山を下るときには、旅費に窮して、小田原までてくてく歩こうと決心・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
出典:青空文庫