・・・そこは、空気が淀んで床下の穴倉から、湿気と、貯えられた葱や馬鈴薯の匂いが板蓋の隙間からすうっと伝い上って来た。彼は、肩から銃をおろし、剣を取り、羊皮の帽子も、袖に星のついた上衣も乗馬靴もすっかりぬぎ捨ててしまった。ユーブカをつけた女は、次の・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・はげしい湿気とかびの臭いが一層強く鼻を刺した。所々、岩に緑青がふいている。そして、岩は、手を触れると、もろく、ポロ/\ところげ落ちた。三十度以上の急な斜坑を、落ちた岩は、左右にぶつかりながら、下へころころころげて行った。 七百尺に上ると・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・朝眼をさますと、皆の寝ている起伏の上に雪が一杯ふりかゝっているので吃驚するが、それは雪が吹きこんできたのではなくて、夜中に空気中に残っているありとあらゆる湿気がみんな霜に還元されるのである。なかのものは次々と凍傷を起して行った。 お前の・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・南と北とを小高い石垣にふさがれた位置にある今の住居では湿気の多い窪地にでも住んでいるようで、雨でも来る日には茶の間の障子はことに暗かった。「ここの家には飽きちゃった。」 と言い出すのは三郎だ。「とうさん、僕と三ちゃんと二人で行っ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・田圃に近いだけに、湿気深い。「お早う」 と高瀬は声を掛けて、母屋の横手から裏庭の方へ来た。 深い露の中で、学士は朝顔鉢の置並べてある棚の間をあちこちと歩いていた。丁度学士の奥さんは年長のお嬢さんを相手にして開けひろげた勝手口で働・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・外は深緑で、あんなに、まばゆいほど明るかったのに、ここは、どうしたのか、陽の光が在っても薄暗く、ひやと冷い湿気があって、酸いにおいが、ぷんと鼻をついて、盲人どもが、うなだれて、うようよいる。盲人ではないけれども、どこか、片輪の感じで、老爺老・・・ 太宰治 「皮膚と心」
真夏の正午前の太陽に照りつけられた関東平野の上には、異常の熱量と湿気とを吸込んだ重苦しい空気が甕の底のおりのように層積している。その層の一番どん底を潜って喘ぎ喘ぎ北進する汽車が横川駅を通過して碓氷峠の第一トンネルにかかるこ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・その容器の中の空気に、充分湿気を含ませておいてこれを急激に膨張させると、空気は膨張のために冷却し含んでいた水蒸気を持ち切れなくなるために、霧のような細かい水滴が出来る。この水滴が出来るためには、必ず何かその凝縮する時に取りつく核のようなもの・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・それは昔この道路の水準がずっと低かった頃に砂利をつめた土俵を並べて飛石代りにしてあった、それをそのまま後に土で埋めて道路面を上げたのであるが、砂利が周囲の湿気を吸収するために、その上に当るところだけ余計に乾燥して白く見えるとの事であった。し・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・試みにこのような、充分水を含んだ細砂を両手で急に強く握りしめると、湿気が失せて固くなるが、握ったままでいるとだんだん柔らかくなってダラダラ流れ出します。足で踏んでも、踏んだ時は固いが、だんだん足がめり込んで行きます。よほどおもしろいものだか・・・ 寺田寅彦 「夏の小半日」
出典:青空文庫