・・・ 欲いのは――もしか出来たら――偐紫の源氏雛、姿も国貞の錦絵ぐらいな、花桐を第一に、藤の方、紫、黄昏、桂木、桂木は人も知った朧月夜の事である。 照りもせず、くもりも果てぬ春の夜の…… この辺は些と酔ってるでしょう。・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・それから後は親類の家などへ往って、児雷也物語とか弓張月とか、白縫物語、田舎源氏、妙々車などいうものを借りて来て、片端から読んで一人で楽んで居た。併し何歳頃から草双紙を読み初めたかどうも確かにはおぼえません、十一位でしたろうか。此頃のことでし・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ 奈良朝から平安朝、平安朝と来ては実に外美内醜の世であったから、魔法くさいことの行われるには最も適した時代であった。源氏物語は如何にまじないが一般的であったかを語っており、法力が尊いものであるかを語っている。この時代の人は大概現世祈祷を・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・その落ちつきが、世の人に思慕の心を起させるのだ。源氏が今でも人気があるのは、源氏の人たちが武術に於いて、ずば抜けて強かったからである。頼光をはじめ、鎮西八郎、悪源太義平などの武勇に就いては知らぬ人も無いだろうが、あの、八幡太郎義家でも、その・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・たとえば万葉や古事記の歌でも源氏や枕草子のような読み物でも、もしそのつもりで捜せばそれらの中にある俳句的要素とでも名づけられるようなものを拾い出すことは決してそれほど困難ではあるまいと思われる。 ここで自分がかりに俳句的要素とかいう名前・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 江戸時代にあって、為永春水その年五十を越えて『梅見の船』を脱稿し、柳亭種彦六十に至ってなお『田舎源氏』の艶史を作るに倦まなかったのは、啻にその文辞の才能くこれをなさしめたばかりではなかろう。 四 築地本願寺・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・正午すこし前、お民は髪を耳かくしとやらに結い、あらい石だたみのような飛白お召の単衣も殊更袖の長いのに、宛然田舎源氏の殿様の着ているようなボカシの裾模様のある藤紫の夏羽織を重ね、ダリヤの花の満開とも言いたげな流行の日傘をさして、山の手の静な屋・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・『源氏』などの中にも、如何に多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられていることよ。また蕪村が俳句の中に漢語を取り入れた如く、外国語の語法でも日本化することができるかも知れない。ただ、その消化如何にあるのである。・・・ 西田幾多郎 「国語の自在性」
・・・ それでもね、じきなおるんですよ。 おととしだか神経衰弱をやったのが癖みたいになってねえ。 源氏物語りなら『御物の化』でもって―― 陽気な声で千世子は笑った、そして手をのばして篤が今まで読んで居た本の頁をわけもなくめくっ・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
出典:青空文庫