・・・収穫は短く、準備は長い。ゾラの小説にある、無政府主義者が鉱山のシャフトの排水樋を夜窃に鋸でゴシゴシ切っておく、水がドンドン坑内に溢れ入って、立坑といわず横坑といわず廃坑といわず知らぬ間に水が廻って、廻り切ったと思うと、俄然鉱山の敷地が陥落を・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・「高坂が準備してるいうやないか?」 こんどは長野が三吉をのぞきこんだ。高坂はやはり印刷工組合の幹部で、自分で印刷工場も経営している。一方では憲政会熊本支部にもひそかに出入している男であるが、小野、津田、三吉の労働幹部のトリオがしっか・・・ 徳永直 「白い道」
・・・一同は遂にがたがた寒さに顫出す程、長評定を凝した結果、止むを得ないから、見付出した一方口を硫黄でえぶし、田崎は家にある鉄砲を準備し、父は大弓に矢をつがい、喜助は天秤棒、鳶の清五郎は鳶口、折から、少く後れて、例年の雪掻きにと、植木屋の安が来た・・・ 永井荷風 「狐」
・・・とそう言ったところで何もただボンヤリ演壇に登った訳でもないので、ここへ出て来るだけの用意は多少準備して参ったには違ないのです。もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・から、見習の仕事に帰るために、夕飯の準備をしに、水夫室へ入った。 ギラギラする光の中から、地下室の監房のような船室へ、いきなり飛び込んだ彼は、習慣に信頼して、ズカズカと皿箱をとりに奥へ踏み込んだ。 皿箱は、床格子の上に造られた棚の中・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・本線シグナルつきの電信柱は、すっかり反対の準備ができると、こんどは急に泣き声で言いました。「あああ、八年の間、夜ひる寝ないでめんどうを見てやってそのお礼がこれか。ああ情けない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・ よき作品も創りたいとあせって、外に求めても時が熟さなければ、何より大切な心の準備が出来ない。つつましい、引しまった、鋭い精神の上に、徐々日の出のように方向が見え、自分の意企が輝いて来たら、嬉しさではしゃいではいけない。じっと心を守り、・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・年忌の営みは晴れ晴れしいものになるらしく、一箇月ばかり前から、熊本の城下は準備に忙しかった。 いよいよ当日になった。うららかな日和で、霊屋のそばは桜の盛りである。向陽院の周囲には幕を引き廻わして、歩卒が警護している。当主がみずから臨場し・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・彼は国内の三十万の青年に動員令に対する準備を命じた。更に健全な国内の壮丁九十万人を国境と沿海戦の守備に充てた。なおその上に、彼はフランス本国から二十万人を、ライン同盟国から十四万七千人、伊太利から八万人を、波蘭とプロシャとオーストリアから十・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・芽の内に花や実の想像はつかないとしても、その花や実がすでに今準備されつつある事は確かです。今はただできるだけ根を張りできるだけ多く養分を吸い取る事のほかになすべき事はないのです。いよいよ果実が熟した時それがいい味を持っていなくても、私は精い・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫